詩の回廊に遊ぶ—孤独の発明『永遠にやって来ない女性』 ここ数年は音楽を聴くのもサブスク一辺倒で、完全ワイヤレスヘッドホンの取り回しの良さもあって、外に出ている間は絶えず曲を流しっぱなし。そんな聴き方をしていると、歌詞は意味が重たく感じて聴き疲れしてくるので、趣向も専らインスト曲に偏重している。だからというか、レビュー用に戴いたサンプルCDのケースを開いて歌詞カードを眺めるのも、歌詞カードとケースの爪の間に背中の帯を収納する所作も本当に久しぶりで、もうずっとCDにも触れていないことを実感した。もっとも、〝孤独の発明〟の場合、詞は詩であり、したがって歌詞カードも小詩集と呼ぶべきかもしれない。
初めに、すでに、詩がある。別ユニットのDiVaの作品については過去にレビューを載せたことがあるが、既存の詩に曲をつけるのは慣れた手つきだと数曲を聴きながら思った。谷川俊太郎作品が主だったDiVa作品と異なり、室生犀星のものが多い。四曲目の立原道造はダダ詩のようなので、歌詞カードの詩を見る。「お時計の中には」と題するこの作品は16文字の16行で構成されていて、脈絡のない内容とは裏腹に活字で見るとじつに整然としている。だのに、これを歌う声の遊びときたら! 時計のチクタクを模したピアノに合わせて、はしゃぐ児戯のようだ。
立原は結核を患い24歳で夭折した。東京帝国大学で建築を学び、堀辰雄や室生犀星に師事して詩を作り、両の道に才能を発揮して、まもなく。建築では、自分の理想の別荘を「ヒヤシンスハウス(風信子荘)」と名づけて50種もの図面を遺し、死後60余年を経て埼玉県の別所沼公園に建設された。試作は、全集がいくつも出ているくらいなので説明不要だが、活字に固定された文字列は詩人の詩情の遺構である。本作ではもう一つ、『組曲「さふらん」』の題で立原の未完詩集「さふらん」を収録している。4行詩12編からなり、ダダ詩が影を引いている。人は立原のこれらの詩をどう読むだろう。歌うようには読まないだろう。詩の遺構で、飛んだり跳ねたり、遊びまわろうとはしないだろう。
〝孤独の発明〟における原田節のボーカルワークと谷川賢作のソングライティングは、立原の16文字の柱が16の列になって並ぶ回廊に遊ぶ子どもの姿を想起させる。本作ではもうひとり、ゲストボーカルに米国を活動拠点とする俳優エル・ギブソンを加え、男女混声の掛け合いが遊びをいっそう華やかにしている。もちろん立原の詩ばかりではなく、犀星のものも、谷川俊太郎のものも、草野心平も、中原中也も、同じ遊び心が彼らの記した文字列を取り上げてはお手玉する。子どもにかかればなんであれ遊び道具であるように、その文字列にふさわしいと思う遊びを考案して施している。犀星も立原道造も草野心平も中原もみな死んだ。死んだ詩人の遺した文字は活字となって保存され、記念碑的に新たな来訪者を獲得し、記念碑的に鑑賞され、記念碑的に記念される、とまで言うのは言い過ぎか。それでも、詩の読者は、まして近現代の詩人の読者は、なかなか子どものようにその言葉で遊べはしない。私もまたそのうちの一人として、歌詞カードに掲載された詩に向き合っていた。耳からは楽しげな声が入ってくる。私の内奥の声は文字列に意味を躾ようとばかりする。16の文字列に主語と述語を探して、意味が完結すれば安心する。そこにまた楽しげな声が入ってくる。私が意味づけた文字列を使った、予想だにしなかった遊びを見せて、驚かせてやろうと。
星隆弘
■ 孤独の発明(原田節&谷川賢作)2nd CD「永遠にやつて来ない女性」PV ■
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