一.ビブラストーン
ノロマ、翻弄、ダラダラ、他人事。次の選挙はいつなんだ、と調べたくもなる。そもそもの話をすれば、確かに誰も悪くないのかもしれない。ウイルスだもの。「コイツが悪いんです」「コイツさえいなければ!」という形で犯人が出てくることはない、はず。当てずっぽうだけど、きっと合っている。でも、そこから先のテイタラクは別。犯人、絶対いるだろう。
基本的に店は酒を出さないし、出している店は混んでいるので、ここ最近は専ら家呑み、もしくは散歩しながらの燃料補給。さてと、どうしましょ。早く行きたいあの店この店の記憶を引っ張り出してもいいけど、こんな機会なのでルールを守って閉めている店のことでも。場所は再開発で最近何だかアレな東京・下北沢界隈。呑んでいないので店名もイニシャルも伏せるけど、みんな良い店。少なくとも私にとっては――。
まずはこの街を代表する立ち飲み屋の近況から。地下一階の名店はしっかりと感染対策を行なってきた。もちろん飛沫対策にも抜かりなく、緊急事態宣言で休む前は、二名以上での来店NG。ええ? と驚く客人グループに「すみません」と頭を下げる店主の姿は切なくも頼もしい。宣言が延長される度、ツイッターで休業延期を報告してくれるが、それが翻弄されているように見えるのは宣言の根拠がボヤけているから。納得させろ、なんて贅沢言いません。せめて納得している人を見せてほしい。
才人・近田春夫率いるビブラストーンの『エントロピー・プロダクションズ』(’91)は衝撃的だった。タイトなリズムと挑発的な歌詞。ヒップホップにもラップにもあまり触れていなかったこともあり、ダビングしたテープがヨレるほど聴いた。さらに魅力的だったのは才人が語る音の方法論。武装と呼びたくなる程の理論が邪魔にならないのは、時に軽やかで時に強靭なグルーヴゆえ。特に挑発的な文言が並ぶアッパー・チューン、その名も「パブリック・エネミー」で彼はアジる。「ルールをよく守れだって? ルールはいつだって勝手に変えていいってルールだもん そんなのインチキじゃん?」。そう、勝手に変えるのはインチキなんだ。
【パブリック・エネミー / ビブラストーン】
二.ギル・スコット・ヘロン
居抜きで始める呑み屋は多い。これから紹介する店もその一つ。商店街の中程に位置し、マスターのキャラクターを肴に結構深い時間まで呑める良いお店。彼は海外のステージに呼ばれることもある詩人で、苦み走ったパンクバンドのフロントマンで、私の親友だ。もう三十年になる。実はついさっき、彼に会った。昼下がり、店の前を通りかかったら、閉まっているはずなのに半シャッターだったので、思わず入って挨拶してしまった。ウイルス以降、彼から教えてもらったことは多い。慣れない手順を踏んで申請した金額はなかなかなかなか支払われないこと、それでもやっかまれたりするということ、少し疲れたということ。そんな諸々、もうちょい取り上げられてもいいような気もする。
ギル・スコット・ヘロンは格好いい。そんな言い方、身も蓋もないが、真実は伝えておかなければ。黒いボブ・ディラン、という令和的にはアレな呼ばれ方もする詩人/ミュージシャン。そりゃあ、もちろん言葉も素晴らしいのだけど、一発でやられたのは声。どこかリラックスした揺れのある声。多少単調なトラックでも色づかせてしまう魔法の声。初めて聞いたのは、シアター・ブルックの自主制作盤『センシミラ』(’93)収録曲のサンプリングだったと思う。個人的な好みだが、バックの音は簡素な方がいい。そんな彼の代表作のひとつが二枚目『ピーセス・オブ・ア・マン』(’71)収録の「The Revolution Will Not Be Televised」。ラップともポエトリー・リーディングとも取れるスタイルだけに、声の魅力もたっぷり堪能できる。タイトルが示すとおり、革命はテレビに映らない。BGMもないし再放送もされない。
【 The Revolution Will Not Be Televised / Gil Scott Heron 】
三.じゃがたら
クセのありそうなバーやスナックが連なる一角にその店はある。うまく説明しづらいが、呑み屋であることは間違いない。マスターは日本と台湾のハーフ。メニューはないがお通しはある。帰り際にはフルーツを持たせてくれる。一緒に台湾へ行ったこともある。居心地抜群なことは間違いない。数日前の夜、予感というか期待があって店の前を通ると、ドアは開けっ放しで灯りが点いている。遂に禁を破って……、というのは早とちり。マスターと奥さんは店の前に椅子を出して、スマホを眺めていた。聞けばやることもないので、こうして毎晩来ているらしい。店の換気にもなるしね、と言ってはみたが少々白々しかったな。反省。「本当なら呑んでってほしいんだけどねえ」。そう呟いたママさんにかける言葉はない。「マンボーになってもさ、早い時間に閉めなきゃいけないでしょ? うち夜8時からだから意味ないしねえ……」。ちょっとした世間話をして「じゃあまた」と歩き出した瞬間、見えた人影は制服姿の男性三人組。手には蛍光グリーンの誘導棒。ママさん曰く違法営業のパトロールかも、と。吃驚。
学生だった頃、じゃがたらは大人の音楽だった。馬鹿を隠さず分析するなら、中味パンクで外側ファンク。ただ心も耳も未熟だったから、聴いてはいたけれど鷲掴みにされることはなかった。じわじわ効いてきたのは随分経ってから。禁酒法めいた世の中になって以降、よく聴くのは全四曲(!)の二枚目『裸の王様』(’87)。当時パンク雑誌でよく見かけた、鮮やかなジャケットが懐かしい。ちょっとの搾取なら我慢できる、と早逝のヴォーカリスト、江戸アケミは歌う。それがちょっとの搾取ならば、と更に念を押す。曲のタイトルは「もうがまんできない」。呑みに行きたい人より、呑みに来てほしい人の方が、ちょっと多めに我慢しているはず。
【もうがまんできない / JAGATARA】
寅間心閑
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