十月号巻頭は「夜を昼の國」である。七月号でもいとうさんは「夢七日」で巻頭を飾っておられた(No.154)。文學界で年に二回、しかもいずれも巻頭に小説が掲載されているので文學界編集部のいとうさんへの期待が大きいことが窺い知れる。
「夜を昼の國」は近松門左衛門『女殺油地獄』を嚆矢として、近松半二『新版歌祭文』、菅専助『染模様妹背門松』、鶴屋南北『お染久松色読販』などで江戸時代を通して人形浄瑠璃や歌舞伎に仕立てられて来たお染・久松の心中話をベースにしている。
大島真寿美さんが浄瑠璃台本作家の近松半二を主人公にした『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で直木賞を受賞なさったのは記憶に新しいが、人形浄瑠璃が密かなブームになっているのだろうか。もちろんいとうさんの「夜を昼の國」は『渦』とはまったく関係ない。心中の当事者のお染が主人公(語り手)である。
彼氏とのあることないことがネットに書き込まれてると気づいたのはつい昨日、もうすぐ年を越すという日の夜やった。書かれ出したら昼も夜も、何百何千とわけのわからない噂が湧いてくるに決まっていた。(中略)
「所は都の東堀。聞いて鬼門の角屋敷。瓦橋とや油屋の。一人娘におそめとて。心も花の色ざかり。年は二八の細眉に内の子飼の久松が忍びヽヽに寝油と」
そう書いてあった。(中略)
書き込みをした奴のアカウントは「歌祭文」とわざとらしいくらい存在のエグさをアピってて、プロフィールに飛ぶと「みんなの歌だよ~ん」とだけ書いてあった。(中略)
歌祭文が大昔のワイドショーみたいなものであることは前に家族から聞いてたけど、それはわたしたちのYouTube時代におっさんどもが作る古くさいテレビ番組とはずいぶんちがう。
いとうせいこう「夜を昼の國」
お染・久松の心中は江戸前期の宝永七年(一七一〇年)に起こったとされるが、それ以来、彼らの心中は様々な形で語り継がれた。「所は都の東堀・・・」は門付け芸人が歌った俗謡で、それが浄瑠璃や歌舞伎に発展していったのだった。
「夜を昼の國」は現代に若い娘として蘇ったお染の亡霊がネット時代を踏まえて自分と久松の心中話を検証し、その虚偽や誇張を批判してゆく体裁を取っている。歌祭文は「YouTube時代におっさんどもが作る古くさいテレビ番組とはずいぶんちがう」とあるので、いとうさんはむしろ古い謡曲などの方に新鮮味を感じておられるのだろう。ちょっと橋本治さんを思わせるような小説である。
追い詰められた源右衛門と善六は、清兵衛よ、お前が結婚する約束の女は間男しているんやでと清兵衛さんに言う。女とはもちろんわたしのこと。(中略)
そこでパパは言う。
「娘が誰と不義をした。何の密夫」
お調子者の善六はふざける。
「云ふまでもござりやせぬぜ。最前色紙の箱から出た、コヽヽヽこの草双紙、『お染久袂の白絞り』。サこの通りの道行本、モウ世間ではもつぱらはやりやすぞへ」(中略)
けど、ここで気づいて欲しい。
肝心のあの本がいつの間にか名前を変えているということに。さっきまで『お染久松歌祭文』と呼ばれていたものが、『お染久松袂の白絞り』にすり変わっている。いつの間にか、他人の、それも五十数年前に(紀)海音が書いたテキストになってる。でも、登場人物の誰もそれを変やと言わへん。
同
お染は自分で浄瑠璃や歌舞伎台本に仕立て上げられた久松との心中話を検証してゆく。菅専助の『染模様妹背門松』は原初型の歌祭文から近松門左衛門、半二、紀海音などの先行する浄瑠璃台本を持っていて、それらを踏まえてさらにドラマチックな物語に仕立てている。
敵役の善六がお染と久松の密通を暴露するのだが、その際に色紙の箱の中から『お染久松袂の白絞り』という本を証拠として取り出す。現代文学でよく使われる作中登場人物による当該作品の自己言及といったところだが、江戸時代にそんな手法があったはずもない。専助の大ヒット作を観客に想起させて危機感を盛り上げる目的だったろう。しかも善助が最初に取り出した本は『お染久松歌祭文』だったのが、いつの間にか『お染久松袂の白絞り』にすり変わっている。
こういったペダンティックな考証は浄瑠璃好きにはたまらなく面白いはずだ。読者に浄瑠璃の世界の魅力を喧伝する教育的効果もある。ただお染を現代に生き返らせて、ネット時代の無責任なSNS噂話に絡めて彼女の口から戯曲台本を批判させるという小説作法はやや弱いように思う。
さあ、とわたしは思った。
このわたしはわたしで生きたまま、わたしたちの色をつたって「書かれた世界」の中に入り直してみよう。
あほんだらども、こら。
わたしはどんな書き込みにも入り込んで移動し、必ずお前ら一人一人のアホ面の前にあらわれてとんでもないことしよるからな。
そうしてわたしは金輪際、お前らにけったくそ悪い書き込みをさせへんからな。
そう。
わたしは紫乃。
水浅葱色に全身染まった十六歳。
たくさんいるわたしたちのために、今日からクソども全員をビビらせ続けるこの国最恐の生き霊。
同
「夜を昼の國」の主題は二つある。一つは「わたしはどんな書き込みにも入り込んで移動し、必ずお前ら一人一人のアホ面の前にあらわれてとんでもないことしよるからな」という言葉で表現されている。ネット社会への批判だ。もう一つの主題は「この国最恐の生き霊」という言葉で表現されている。
お染久松の心中話はその原型をさらに古い江戸初期のお夏清十郎の心中にまで遡ることができるが、それらは人々の心を惹きつけてやまない事件だから様々な形で歌や戯曲台本に仕立て上げられた。その「書かれた世界」に入り込むとテキストは、物語は重層化し相互引用などの形で錯綜してドラマチックだが荒唐無稽なものになってゆく。しかしその原初は、原理は変わらないといとうさんは考えている。お染は「この国最恐の生き霊」であり、今までもこれからも物語を生む力を持ち続けている。古典に対する的確な理解である。
ただ二兎を追って小説がやや拡散した印象になってるのは否めない。どうしてもウエイトはネット批判に傾いていて、読者もそのように印象づけられるだろう。またテキストの世界(「書かれた世界」)を抜け出してお染久松の原初的力を取り戻すなら、お染と久松らを何らかの形で登場人物に投影した普通の小説の方が説得力があるのではなかろうか。浄瑠璃はどう贔屓目に見てもポピュラーではない。お染を「この国最恐の生き霊」にするにはそれにふさわしい現代小説を書く必要があるのではないか。ただ「夜を昼の國」が様々な展開の可能性を持つ小説であるのは確かである。
浄瑠璃や歌舞伎の心中モノは上演されるたびに満員御礼の大ヒットになったが、過熱するたびに幕府は上演禁止を命じている。そこに庶民の封建制度、杓子定規な身分制度に対するそこはかとない、だが消えることのない反発があったのは間違いない。現代の感覚では少し奇妙だが、観客はお染久松の心中に胸のすくようなカタルシスを感じた。抑圧があってのカタルシスである。大上段の社会批判が人々の心を代表するとは限らない。江戸の人々は素知らぬふりをして権力の後ろ頭をスリッパで思い切る殴るような方法をよく知っていた。
大篠夏彦
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