『りょんさんのときどき集中連載』『世相をわらう4―自己愛の時代』をアップしましたぁ。軽いエッセイですが重要な指摘をなさっています。現代が他者からの批判をシャットアウトする、自分は絶対傷つきたくないといった自己愛の時代の傾向を深めているのは確かだと思います。しかしりょんさんが書いておられるように『自己愛が過ぎると、自傷とあんまりかわんなくなったりする。外界に背を向けるのが過ぎて、それがどんだけ危険なことか全然わかってないとね。うまく立ち回っているつもりになればなるほど、実は敵が増えてたりするね 笑。自己愛的な振る舞いについてはみんな結構敏感だから』ということになりやすい。
出版もデザインもそうだけど、クリエイティブっていうのは昔から打たれてなんぼだったけどね。打たれた瞬間は、辛いこともあるわけよ。それがマトモな批判ならね。だけど3日ぐらい経って、立ち直ってくる。そこがほんとにその人の力っていうか、先があるかどうかの分かれ目ってとこなんだけどね。経験した人はみんな実感してるんだけど、かわいそうなのはその経験をしたことがない人、その前に逃げ回っている人。まぁそういうのを素人っていうんだけどさ。素人のままで過ごしたいっていう選択だって、もちろん貴重だと思うし、悪くはないと思うよ。それを選んだんならね。ただそれを続けても虚しいって思う感受性は、もう時代がどっかに置き忘れてきたのかな。
りょん『世相をわらう4―自己愛の時代』
批評をすべて自己への悪意ある批判と受け取り、脳で考える前に脊髄反応で中傷された、ディスられたと受け取ってしまうのは、芸術を含む社会に大きな社会的規範軸が失われてしまったことが影響しているでしょうね。しかしやっぱりダメ出しの出ない表現はムダなのです。作家は他者の創作に対しては客観的に批評できますが、自分の作品にだけはそれができない。だから批評を受ける必要がある。もちろんどの批評を正しいと受け取るかを含めて作家の力量です。つまらない仲間と誉め合いながらつるんでいたのでは先はない。
りょんさんはまた『今、日本はあらゆるランキングが地に下がって後進国になったけど、今が底辺だとしたら何かのエネルギーを貯めてて、またびっくりするようなかたちで日本がナンバーワンになる日も来るのかもしれない。日本人ってそういう人種じゃない? 今は戦争直後の焼け野原という感じかもしれないよね』とも書いておられます。2000年くらいから以降がいわゆる喪失の戦後かな。なんらかの形で文学の世界にも新しい軸を打ち立てなければなりませんね。
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