唐門会所蔵の安井浩司氏折帖墨書作品第二作目は『同異抄』である。『同異抄』は縦二十八・七センチ、横九センチ、厚さ約二センチで、布張りクロース装の表紙に張られた紙に安井氏が表題を墨書しておられる。折りの数は五十八枚だが、巻頭巻末の十五面は白紙である。最後から二枚目の裏面に『お浩司唐門会』の雅印が押されている。折帖の最後に『昭和五二年(一九七七年)正月』とあるので、安井氏四十一歳の時の書である。書き初めということだろうが薄墨の墨跡が実に美しい。安井氏の書としてはかなり端正な書体である。全十句が収録されている。
安井氏は折帖作品『同異抄』を作った二年後の昭和五十四年(一九七九年)に、第五句集『密母集』を刊行している。『密母集』は『拾遺』『同異抄』『大鴉』『秘密』『奈落抄』『歓喜妻』『古春や』『孔雀杳冥』の小タイトルに区分されており、折帖墨書作品収録句は大半が同書『同異抄』と一致する。しかし折帖版『同異抄』の句の並びは『密母集』と一致しない。また『密母集』収録にあたって折帖版『同異抄』収録作品の一部が改作されており、『密母集』未収録の作品もある。従って折帖版『同異抄』は原(ウル)『密母集』(の一部)ということになる。
以下に折帖版『同異抄』の収録句を掲載し、注で『密母集』との相違を示しておく。
麦秋の大工は蛇を地に投げる(*1)
校庭の法華の馬もさるすべり
箒木へ法華もにしんも消えゆけり
睡蓮がかたまり生える西も妻(*2)
昼庭(ひるにわ)を去る旅人も蛇ならん
ふるさとの一字の僧侶よ麦の秋(*3)
西方の椎も紫にゆうひばり
赤松にのぼれば沖の褻器(まる)はるか
ヴァイオリンより低くうごく底石や(*4)
汝が瓜をひらけば日野の木溜り
昭和五二年正月
安井浩司
(雅印)
*1 『密母集』では『拾遺』篇に収録されている。
*2 『密母集』では『岩蓮華かたまり生える西も妻』に改稿されている。
*3 『密母集』では『ふるさとの一字の僧侶が麦の中』に改稿されている。
*4 『密母集』では該当句がみつからなかった。未発表の作品かもしれない。
金魚屋俳句部門アドバイザーの田沼泰彦氏によれば、安井氏はおおむね一日三十句を作ることをノルマとして課しておられるそうだ。これは驚異的な作句数である。自然諷詠でも一日三十句は困難だと思うが、安井氏の俳句は難解で知られている。安井氏は自筆年譜の平成二年(一九九〇年)の箇所で、『以後、考えるところあり、散文(評論)行為を断つ決意す』と書いておられるが、当然だろう。平成に入ってから安井氏の句集収録句数は飛躍的に増加している。とても散文にまで手が回らないはずである。
また安井氏の作句数の多さは、唐門会所蔵の句集原稿からもうかがい知ることができる。それを見ると安井氏は数次に渡って句を選んでおられる。そのまま未発表になった句も多いようである。これらの原稿については別稿で検討することがあるかもしれないが、折帖版『同異抄』でも同様のことが起こっていたのだろう。折帖版『同異抄』制作時点で『密母集』という句集タイトルが決まっていたのかどうかはわからないが、どうやら安井氏は、まず『同異抄』という表題でプライベートな句集(折帖)をまとめ、それが『密母集』で定稿になったということのようである。
なお折帖版『同異抄』収録句は四行で墨書されている(一作だけ三行)。この四行表記は、基本的に墨書のための便宜的表記だと考えなければならない。しかしこの表記方法を、安井氏が『これも作品である』と言い出したらどうなるだろうか。前衛俳句では、高柳重信が始めた多行俳句が形式上の大きな問題になる。安井氏のことだから、墨書作品で多行俳句を秘かに試していたということは十分にありえる。多行俳句の問題については、項を改めて論じたい。
岡野隆
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