死鼠を常(とこ)のまひるへ抛りけり
安井さんは今回墨書にした句の選択について、『安井浩司『俳句と書』展』公式図録兼書籍収録のインタビューで、『どんな作品でも軸にできるわけではないし、これは安井浩司的だなぁと思う俳句でも、墨書にはできない作品もあるんです。自分にとっては刺激の多い、何か未知をはらんだ作品は、なかなか軸にはできない。それがどういう作品かは、自分でもはっきりと言うことができません。でも書いてみると、わかる。書いて初めてわかるんですね。やっぱり軸にすることで完結した世界、それ自体、自立した世界となるような作品って、あるんだなぁと実感しました』と語っておられる。
なかなか含蓄深い言葉だと思う。安井さんはまた、『今回、書を書いていて、俳句と書の一致、「俳書一体」という言葉を自分で生み出しましたが、俳書一体という境地はあり得るんじゃないかと思うんです』と語っておられる。既発表の俳句を書にしたためた展覧会だが、書自体は俳句と同じ質の独立した『作品』だということである。安井さんはまったく、呆れるほどどんな場合でも攻めることを忘れない作家さんだ。安井さんにとって今回の墨書展は、趣味の書を披露する展覧会ではぜんぜんないのである。書を書き発表することで、また一つ新たな表現領域を獲得されようとしている。安井さんの言葉を裏付けるように、今回の墨書展では、安井俳句と聞いて、僕らがすぐに思いつくような俳句がほとんど出品されていない。
渚で鳴る巻貝有機質は死して
遠い空家に灰満つ必死に交む貝
雁よ死ぬ段畑で妹は縄使う
椿の花いきなり数を廃棄せり
ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき
有耶無耶の関ふりむけば汝と我
これらの句はいわばヒット曲のようなものである。墨書にしたためれば、大喜びしてくれるファンの方はたくさんいるはずだ。しかし安井さんは、自己にとって『刺激の多い、何か未知をはらんだ作品』でありながら、ギリギリのところで『それ自体、自立した世界となるような作品』を選び、俳句と同質の『作品』となるように墨書制作に取り組まれたようだ。安井さんは今回の墨書作品を『遺品と申してよろしいでしょう。物として何かを残そうという気持ちです』と語っておられるが、読者におもねる様子はまったく見えない。安井さんにとって『遺品』とは、安井浩司という作家の全体像を書として正確に読者(持ち主)に伝えるための作品であるかのようだ。どの句が人気があるかではなく、安井浩司自選の墨書作品を作り上げ、それを手渡すことが一番重要なのである。
しかし代表句と呼べる作品も数点混じっている。『死鼠を常(とこ)のまひるへ抛りけり』、『夏垣に垂れる系図も蛇のまま』などである。ただ引用していて思わず笑ってしまったが、これらの句は持ち主を選ぶ。『死』や『蛇』という言葉を、もう生理的なまでに嫌う人がいるからだ。そういう人にとっては、こういう言葉が入っているだけで作品を飾っておきたくないのである。安井さんは、わざとその手の読者が嫌う俳句を墨書にされたわけではないだろうが、一つの挑戦であるとは言えるだろう。しかし作家が真正面から斬り込んでくるときには、真摯な読者はそれを真正面から受けとめなければならない。それが一番理想的な作家と読者の関係である。
熊谷守一という洋画家がいて、壮年までは貧困生活を送ったが、晩年は日本屈指の売れっ子有名画家になった。明治十三年(一八八〇年)生まれで、同期の青木繁を抑えて東京美術学校(今の芸大)洋画科を主席で卒業した俊英である。ただ彼は本質的なまでの前衛画家だった。それが彼の画業を遅れに遅らせた。熊谷がいたかいないかによって、日本の前衛絵画の歴史は変わってしまうほどの大物である。若い頃から浮世離れした人だったが、晩年はさらにそれが昂じて、白い髭を伸ばしたその姿はほとんど仙人を思わせた。子供の絵のような熊谷の作品は驚くほどの高値を呼んだが、本人はそれに無頓着を貫き通した。
熊谷は日本画や墨書も書いた。ある雑誌で熊谷の墨書制作風景の写真を見たことがある。『つる千年 かめ万年』と書いているところの写真だったが、よく見ると、カンバスに張った大きな紙の右上に、小さな下書きの紙片が置いてある。いくら浮世離れしているとはいえ、『つる千年 かめ万年』のような簡単な字を忘れる人だとは思えない。要はどういったバランスで、どういう字体で書くのかを下書きしているのである。つくづく食えない爺様で、また恐ろしい人だとも思った。熊谷は絵と同じ感覚で書を書いているのである。
熊谷には『蒼蠅』というタイトルの画集がある。熊谷は『蒼蠅』二文字を好んで墨書に書いた。彼は『蒼蠅』について次のように語っている。
展覧会で売れないで残る「蒼蠅」という字は、よく書きます。わたしは蒼蠅は格好がいいって思うんだけど、普通の人はそうは思わんのでしょうね。病気の時なんて、床の囲りをぶんぶん飛んでくれると景気がよくて退屈しない。この頃は蒼蠅もいなくて淋しいくらいです。ところがこの「蒼蠅」という字にもひどくきついのときつくないのと出るんです。蒼蠅がひどく頑張っているのと、そうでないのとね。
(『守一 九十六才』昭和五十三年[一九七八年])
これが仙人・熊谷守一のコレクターへの挑戦状である。彼は『蒼蠅』は売りにくいと知りながら、好んでこの二字を墨書し続けた。いつかその意図が受け手に伝わるのをじっと待った。作品は確かに持ち主を選ぶ。一筋縄ではいかない。熊谷の『蒼蠅』は、今では彼の墨書の中で最も人気のある高値の作品である。作家の挑戦に勇気をもって応えてくれた受け手に、作家は限りなく優しいものだ。
山本俊則
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■