神曲やかの跳ね鱒は突かれずに
『安井浩司『俳句と書』展』公式図録兼書籍の巻頭には、和服姿で腕組みし、床の間の前に座る安井浩司さんのカッコイイ写真が掲載されている。床に掛けられているのは安井さんが自分でお書きになった墨書軸で、キャプションにはダンテ『神曲』の『煉獄篇』だとある。大きな写真なので、何が書かれているのかはっきり読める。
おゝ高飛すべく生まれし人類よ
汝等何ゆえに些かな風に斯く倒れるぞ
『神曲』煉獄篇第十二曲 浩司(雅印)
ん、誰の訳なんだろうと思った。僕が読んだのは平川祐弘さんの翻訳で、確か口語調だった。調べてみると記憶のとおりだった。
おお人間よ、上に舞いあがるために生れながら、
なぜほんのわずかの風にも墜(お)ちてしまうのか?
平川祐弘訳『神曲』『煉獄篇』『第十二歌』九十五、九十六行
『神曲』はヨーロッパ文学の古典中の古典だから、平川さんだけでなく、寿岳文章さんを初めとする碩学の手になる十数種類の翻訳がある。安井さんがどの翻訳を使われたのか、あるいはご自分で訳されたのかは確認できないが、それにしても訳し方によって読後感がえらく違うものだなぁと思う。『おゝ高飛すべく生まれし人類よ』と『おお人間よ、上に舞いあがるために生れながら』ではまったく違う詩だ。単純にどちらがいいとは言えないが、『神曲』は当時のトスカーナ方言で書かれている。それが現代イタリア語の基礎になった。古イタリア語なわけで、日本語ではそれを文語体で訳すのも一つの見識だと思う。
そういえば、海の向うで「詩篇」のエズラ・パウンドが、ジョイス宛の書簡の中で「既存のジャンルのどれにも属さない、終りのない詩にとりかかっている」と書き送っている。パウンドほど意図的ではないにしても、『汝と我』(昭和六十三年刊)より始められたすべてが、その〈終りのない詩〉の神話的展開に、わが運命として深く通底するものを感じられてならない。
(『空なる芭蕉』平成二十二年[二〇一〇年]『後記』より)
安井さんは本当に変わっているというか、独自の俳人で、文章を読んでいるとエズラ・パウンドなどの名前が飛び出してくる。また優れた作家が『そういえば』とか、『ところで』と書き出す時は要注意だ。こういう軽くいなした言葉で始まる文章の時の方が、本心を吐露している場合が圧倒的に多いのである。それにしても、安井さんがパウンドの『詩篇(カントオズ)』を意識しておられるのは驚きだ。俳句は俳壇の大勢としても、歴史的経緯を見ても、なにげない身辺の自然諷詠が中心である。パウンド『詩篇』のような、観念とイメージが混交した複雑な文学とは最も縁遠いはずなのである。
前回、安井作品には『地』と『現世』と『天』という明確な世界認識の枠組み(フレーム)があると書いたが、この構造はダンテ『神曲』の『地獄篇』、『煉獄篇』、『天国篇』に対応している。よく知られているように、『神曲』で主人公・ダンテを導くのはキリスト教以前のローマの大詩人・ウェリギリウスである。『神曲』は単純なキリスト教世界の認識を表現した作品ではない。ウェリギリウスが導き手で、『地獄』と『天国』の間に『煉獄』が挟み込まれていることからもわかるように、キリスト教以前(以外)の世界をも統合しようとしている。また形式的にも『神曲』は美しい。音韻は言うまでもなく、『地獄篇』、『煉獄篇』、『天国篇』は三十三、三十三、三十四篇で、計百篇から構成されている。緻密に計算された構造を持つ作品なのである。
だが『神曲』のような完璧な構造を持つ長篇詩は、その後のヨーロッパで書かれることがなかった。『神曲』は十四世紀初頭にほぼ現在の形で成立したと推定されているが、この時期が最後のチャンスだったのである。精神(信仰)的にも思想的にもキリスト教への愛が燃えさかり、かつ優れた異文化に十分目配りができて、それをキリスト教に統合し得ると信じられた時期は、思いのほか短かったのである。十七世紀にミルトンが長篇詩『失楽園』を英語で書いたが、彼の思想はダンテに比べればずっと単純である。質的に『神曲』に最も近い作品は、ゲーテの『ファウスト』だろう。ただ『ファウスト』は危うい作品である。ゲーテは生前には『ファウスト』を完成させられず、死後の一八三三年に第二部が発表された。『ファウスト』がゲーテの汎神論思想を色濃く反映しているのは言うまでもない。
エズラ・パウンドは『詩篇』をダンテの『神曲』を意識して書き始めた。しかし百篇では完結しなかった。『詩篇』は百二十篇まで書き継がれ、詩人の死によって中断されることになった。パウンドはなぜか利子を激しく憎み、当時、銀行を牛耳っていたユダヤ資本家に批判の矛先を向けるようになった。あげくはイタリアのムッソリーニ政権に荷担してローマから反米放送を行った。終戦と同時に逮捕され、国家反逆罪で起訴された。アメリカの国家反逆罪は重罪である。死刑も珍しくない。パウンドは医師の精神錯乱の診断を得て執行猶予となったが、その代償として十二年間も精神病院に収容された。二次大戦当時、パウンドは『詩篇』の第七十篇あたりにさしかかっていた。『神曲』で言えば『煉獄篇』である。しかし世界と彼自身が置かれた状況は、『天国篇』を夢想できるようなものではまったくなくなっていた。パウンドは結局、『煉獄』と『地獄』を描き続けたのである。
だからこそパウンドと重なり合う安井さんの『わが運命』は、『既存のジャンルのどれにも属さない、終りのない詩』への共感ということになる。ダンテの『神曲』のような世界認識は必要だが、それを完璧な言語作品として表現することはもはや誰にもできない。『天』と『地』を往還し、『現世』の汚濁にまみれながら、激しく変わり続ける世界と一緒に変わってゆくのである。その意味で安井さんのパウンドへの共感は、必ずしも『詩篇(カントオズ)』への共感ではなく、パウンドの世界認識へ向けられている。パウンドの『詩篇』は決して成功作ではない。失敗作と呼んでさしつかえない。だたその余りにも巨大な失敗のありようは、こじんまりとした成功作を遙かにしのぐ文学的価値を持っている。また安井さんが、俳句という、一つ一つは短い表現ジャンルにおいて、パウンド的な『巨篇』に憑かれた作家であるのは確かである。
『神曲やかの跳ね鱒は突かれずに』に現れる『跳ね鱒』が、何を意味しているのか、なにか先行するテキストがあるのかは僕にはわからない。イメージとしては、『神曲』という偉大で巨大なテキストの幻の上で『鱒』が『跳ね』る。『跳ね鱒』は銛で狙われるが、『突かれずに』いる。つまり『跳ね鱒』は、『神曲』を超出しようとする不遜と狼藉を罰せられるが、それをかいくぐり、永遠に『跳ね』る歓喜の姿でいるのである。ただこれも一つの詩の読み方に過ぎない。墨書を見ていると、安井さんはきっと『神曲』や『跳ね鱒』という字を書きたかったんだろうな、という気がしてくる。安井さんが墨書で書いた『神曲』は、もちろん安井さんが捉えた神の曲、神韻の表象である。
山本俊則
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■