『特別展 縄文-1万年の美の鼓動』展
於・東京国立博物館
会期=2018/7/3~9/2
入館料=1600円(一般)
カタログ=2400円
会期末の土曜日に見に行ったら、短いけど入場待ちの列ができておりました。途端に不機嫌になった聖遠耳は自分のことは棚に上げて、「そんなに茶色っぽい土器が見たいのかよー、常設の考古部屋はいつも空いてるのに、特別展になると興味が湧くのかよー」とブツブツ言いながら列に並んだのでした。
展覧会が混んでいて不機嫌になるのは、展示物がよく見えないからである。それだけ。そういう時は、日曜美術館の司会者とか内覧会に呼んでもらえる立派な人に出世したいなーと切に思いますね。空いている美術館で一級品の美術を見ることができるのは最高だ。
ちなみに僕の日曜美術館の司会者ベストスリーは、モデルでタレントのはなさん、俳優の井浦新さん、女優の檀ふみさんであります。日曜美術館でははなさん以前にも若い女性を司会者に起用していたのだが、どーもにわか美術好きっぽくてしっくり来なかった。はなさんはまったくの自然体でしたな。「へーすごーい」と熱もなくおっしゃっていた。ただ何を見て「すごーい」と言うかで自ずとその人の美的感覚はわかるもので、はなさんの美意識は的確で高かった。井浦さんは本当に美術が好きなんだなぁということが画面から伝わってきた。
檀ふみさんは失礼ながら文化オバサンっぽいところがあったけど、衣装が凄かった。三回に一回くらいは、絶対NHK教育テレビのギャラより衣装代の方が高いよな、と思ってしまうお召し物で登場されていた。さすが大女優。テレビのことも、ご自分のテレビ映りのこともよくわかっておられる。まあ美術番組なんですから、地味な男が出て来るより、メリハリのある衣装の女性が仕切った方が絵になりますね。特に若い女性より中年以上の女性の方が服や着物のセンスの良さが際立ちます。壇さんのお着物のセンスはホントによかった。
テレビ朝日の深夜番組で「お願い!ランキング」というのをやってますね。低予算なので男性ADが出てきてレポートしたりすると、司会のアニメの子ぶたが「ええぃ、女子を出せぃ」と言ったりします。それはその通りで、女性は時間をかけてお洋服を選んでお化粧しているから、どうしたって男より見栄えがする。もちろん男にだっておしゃれな人はいるけど、それだけでは許してもらえないのが男の子の悲しいところ。衣装は男の子の評価を助けることはあっても、衣装によって男の子の評価がグンと上がることはありませんな。
女の子は恋人とラブラブの間は「彼ってオシャレで素敵」とか言ったりしますが、別れると「おっとこのくせに服や靴や時計にしかきょーみねぇのかよ、男は中身だろ」と暴言を吐いたりします。明らかに男女差別なのですが、もんのすごい社会問題になることはありませんな。彼女より服や靴選びに時間をかけ、髪形を気にしていると突然罵声を浴びせられることがあるので男の子たちは注意しましょう。もち億万長者なら別かもしれませんが。
肝心の展覧会だが、確かに茶色い土器が並んでいたが超一級品ばかりだった。いまさらながらさすが東博。これだけの縄文土器や土偶を集められるのは東博だけだろうなぁ。骨董屋で見せられたら贋作を疑ってしまうような名品がズラリと並んでおりました。
で、展覧会の前提となる縄文時代だが、これが長い。紀元前一一〇〇年前から一〇〇〇年くらいの一万年強に及ぶ。当然いくつかに区分されていて、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の六ブロックに分けるのが現在の主流である。草創期から晩期になるにつれ高度な技巧が凝らされるようになる。また晩期には九州エリアから弥生文化がどんどん東上していて、東北が最後の縄文文化エリアになる。
深鉢形土器
山梨県甲州市 殿林遺跡出土 高さ七二センチ 縄文時代(中期) 山梨県立考古博物館蔵
実際に目にしたこの深鉢形土器には度肝を抜かれた。焼成温度の低い縄文土器は破損しているのが普通である。パーツの大部分が揃っていて優品であれば、復元作業が行われてオリジナルの形を取り戻すのである。
しかしこの作品はほぼ破損のない形で発掘された。使われた跡がなく、上下逆さまの状態で出土している。そのため祭祀など、特別な用途のために作られ使われたのではないかと考えられている。装飾を見てもそれはうなずける。とても粘土紐を巻き上げて壺の形を作り、その上から模様をつけたとは思えない精巧な出来である。
当たり前だが土器は食べ物を煮炊きするために生み出された。煮ること、焼くことで食は豊かになるし、保存もできるようになる。ただ今回の展覧会で展示されていた縄文土器のほとんどは実用品ではない。
骨董屋に行けば、完品、陶片を問わず、煮炊きした跡のある縄文土器は掃いて捨てるほどある。日本全国にいわゆる縄文人が居住していてわたしたちの祖先になったのだから当然だ。確かに縄文土器は弥生式土器に比べて装飾性豊かなのが特長である。明らかな実用品でも胴には細かな縄目があり、口辺部になんらかの装飾が施されていることが多い。しかし美術的価値も認められる縄文土器の多くが非実用品なのだ。使われた跡があっても日常的に酷使されていないことが多い。東博の縄文展などで展示される縄文土器の優品は、出土縄文土器全体の数パーセントしかないのである。
火焔型土器
新潟県十日町市 笹山遺跡出土 高さ三四・五センチ 縄文時代(中期) 新潟・十日町市(十日町市博物館保管)
縄文土器を代表する火焔式土器である。どう見たって実用には向いていない祭祀用だ。市場で火焔型土器にお目にかかることはまずない。底の部分が残っている縄文土器に後から火焔部を足して火焔型土器にした贋作も多い。値段が一桁二桁違ってくるので、非常に精巧な贋作も作られている。
ただ火焔式土器に限らないが、特殊な形をした縄文土器の正確な使われ方はわかっていない。抽象化されているが、やはり焔を象ったという説には説得力がある。火は煮炊きだけでなく土器制作の源であり、猛獣から人を守る力もあった。縄文人がそこに神性を感じることはあっただろう。
黒澤明監督映画『デルス・ウザーラ』はロシア人探検家、アルセーニエフの探検記に基づいているが、ウザーラはシベリア少数民族のナナイ族の猟師で探検隊のガイドだった。ウザーラは火にも水にも生命があると言う。火がパチパチはぜる音や、お湯が沸く音と会話したりするのだ。縄文人が単なる装飾として複雑な火焔式土器を作ったとは考えられず、焔が燃え上がるような形には天に向けて祈る、あるいは捧げ物をするという用途があったのかもしれない。
なおナナイ族はニブフ、ウィルタ、ウリチ、イヌイット、アイヌなどの北方少数民族の一つである。彼らは古代から少数民族として暮らしていた。農業が不可能な北方寒冷地帯では狩猟に頼らざるを得ず、一つの民族(集落)が広大な猟場を持っていた。それでもその土地で得られる食物に見合った少人数しか生存できなかったのである。当然無文字文化である。
焼町土器
群馬県渋川市 道訓前遺跡出土 高さ六二センチ 縄文時代(中期) 群馬・渋川市教育委員会蔵
縄文時代の発掘品は出たとこ勝負のようなところがある。都市部の地下にも縄文遺跡はたくさん眠っているはずだが発掘調査は簡単ではない。その逆に人家などが少ない場所では広範囲の発掘が可能だ。焼町土器は群馬県から長野県東部の千曲川流域から出土する独自の形をした土器である。焼町式土器とも言う。火焔型土器と同様、上部に突起があるが、環状になっているものがかなり出土している。なお写真で見ても底や口辺部が補修されているのがわかるはずだ。縄文土器はたいていどこか補修されているのが普通だ。
同じ形状の土器が出土するということは、明確な意味を持つ形の土器が、数十年、あるいは数百年に渡って作り続けられたことを意味する。こういった○○式土器という呼び名は日本各地の遺跡発掘土器群に与えられている。出土物から縄文時代でも遠隔地との交易が行われていたことがわかっているが、その範囲は現代とは比べようもない。かなり孤立した状態で日本各地で縄文人が集落を営み、独自の文化を育んでいたと考えられる。
ただ焼町土器にも見られるが、胴の連続模様、渦を巻くような装飾は縄文土器全般に見られる。晩期の東北亀ヶ岡(式)土器になるとそれがより明瞭になってくる。いわゆる〝ぐるぐる文〟である。この渦を巻くような文様は、恐らく無文字文化の特徴だと思われる。
鶴岡真弓先生はケルト文化の権威だが、ヨーロッパ古代文明のぐるぐる文を研究しておられる。ヨーロッパばかりではない。アフリカや中東・中央アジアなどでも多くのぐるぐる文のついた発掘品が出土している。日本ではアイヌが近世に至るまでぐるぐる文を好んだことから、アイヌは縄文人の子孫という説も生まれた。しかし一万年以上前からの縄文人が、ある程度の純血性を保って存在しているわけがない。
人間は自然界の現象に対して一定の反応を示す生き物である。特に古代はそうだった。太陽を神聖視し、嵐や雷を恐れるような心性は共通している。そういった人類共通の心性が、場所や時代を隔てていても、世界各地で同じような模様などを生んでいる。縄文土器のぐるぐる文もそういった人類共通の心性から生み出された文様だと考えられる。
わたしたちは生まれながらに文字を持っているので、無文字文化の特性を正確には理解できない。ただ文字は間違いなく〝始まりと終わり〟という概念を人類にもたらした。世界各地の神話や宗教が世界の始まりと終わり(あるいは始まりから現在まで)を描いている。紙だろうと木簡や石碑だろうと、文字を持つ民俗は書き始めに抱いた概念を、なんらかの形で書き終わり(結論)の概念にまとめあげるようになる。書物の始まりのページと終わりのページは文字がもたらした最もプリミティブな形態である。
ぐるぐる文は世界各地で古代人の循環的世界観を表象していると考えられる。もちろん人間には生と死があるわけだが、それを太陽が昇って沈む、あるいは植物が芽生えて実をつけ枯れてまた芽吹くといった季節の循環性になぞらえている。文字による始まりと終わりという概念を持たない無文字文化では特にそうである。アイヌなどは近世に至るまで循環的世界観を保持していた。また縄文時代の平均寿命は三十歳に満たず、出生率は高かったが乳幼児の死亡率も高かった。彼らが死は決定的な終わりではなく、始まりであるという概念を抱いたのは自然だろう。
顔面把手付深鉢形土器
山梨県北杜市 津金御所前遺跡出土 高さ五八センチ 縄文時代(中期) 山梨・北杜市教育委員会蔵
これも実物を見たかった土器の一つで、顔が二つ付いているがその形は縄文土偶と同じである。胴部分の顔は母胎から新生児が生まれる瞬間を描いていると考えられている。口辺部の顔も新生児だろう。極めて珍しい、というより他に類例のない土器だが、縄文人がいかに母胎と出産を重視していたのかよくわかる。
図録を読んでいたら、縄文土器は男が作ったのか、女が作ったのかという議論があると書いてあった。言われてみればこれもまだ解明されていない謎である。様々な研究方法があって、比較文化論で今も狩猟を行って土器も作っている民族では、男は主に食料や狩り道具の製作を行い、女は食事の用意や育児を行いながら土器を作っている場合があるのだという。しかし役割文体は絶対ではなく、用途によっては男も土器を作るらしい。
○○式土器という一定様式の土器が大量に出土していることから、縄文時代でも土器を作る者は特殊技能者で、一定期間は土器制作に従事していたと考えられる。人間に得意不得意があるのは今も昔も同じだろうから自然なことである。ただ縄文土器の過剰なまでの装飾性はどうも男臭い。男の虚空に舞い上がるような観念性が感じられてしまうのだ。それに出産する女性を神格化(神秘化)するにしても相対化が必要だ。男の方がそれを為しやすいように思う。しかしこの問題は決着が付きにくいだろう。
土偶 縄文のビーナス
長野県茅野市 棚畑遺跡出土 高さ二七センチ 縄文時代(中期) 長野県茅野市(茅野市尖石縄文考古館保管)
遮光器土偶
青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 高さ三四・二センチ 縄文時代(晩期) 東京国立美術館蔵
縄文土偶を代表する作品二点である。いずれも女性を象っている。茅野市出土の縄文のビーナスは、縄文時代の出土品で初めて国宝指定されたことでも知られる。遮光器土偶は学校の歴史の教科書には必ず載っているので誰もが見たことがあるだろう。縄文晩期、東北亀ヶ岡様式を代表する土偶である。東博では普段は常設展の縄文コーナーに必ず展示されている。髪の部分に赤漆が残っているが、制作当初は真っ赤だったと考えられている。相当に派手な土偶だったはずで、正確な用途はわからないがやはり特別な祭祀に用いられたのだろう。
東博の展覧会を見ていると、土器や土偶の優品はいくらでもあるように思えてしまうが、実際には非常に少ない。特に土偶は土器に比べて出土量が少ない。実用品でないから当然と言えば当然だが、壊れてバラバラになっている物が多いので祭祀の後に破壊していたようだ。
茅野の縄文のビーナスは土を捏ねて形を作り出した土偶としては例外的に大きい。高さ二七センチもある。このくらいの大きさだと焼くと割れてしまうので、ほとんどの土偶はもっと小さく薄い物が多い。亀ヶ岡の遮光器土偶はさらに大きく高さ三四・二センチもある。この土偶は中空土偶として知られる。内部が空洞なのだ。だから手で持つと意外なほど軽い。どうやって作ったかは正確にはわからないが、前後別々にパーツを作って組み合わせる高い技術がないと内部を空洞にすることはできない。
中空は実際の人体と同じくふっくらとした円筒形で、かつ割れにくい大きな土偶を作るための工夫である。亀ヶ岡様式に代表される縄文晩期になるとすでに弥生式土器が生まれ、稲作をともなう弥生文化が九州から東上していた。縄文最後の光が亀ヶ岡になるわけだが、土器も土偶も非常に精巧な作りになる。土を良く選んでいて焼成温度も高いため、中期くらいの作品に比べると圧倒的に薄造りだが完品で出土することが多い。表面を研磨しているのも亀ヶ岡の特徴である。弥生式土器の影響があるかもしれない。縄文時代と弥生時代が線を引いたようにくっきり分かれるわけではない。
弥生時代になると土器は装飾性のないスッキリとした形になる。赤みがかった優美な姿は美しいが、機能重視の厳しい時代になったということでもある。弥生文化は明らかに渡来人の大量流入によって始まっている。共同体に明確なリーダー(王様・首長)が生まれ、権威と富の集中が始まったのも弥生時代である。ただ騎馬民族制圧説はオーバーで、日本語の特殊性(独自性)を考えても、渡来人は土着の原日本人と衝突しながら徐々に母集団に吸収されていったのだろう。
世界中、どの国に行っても土器の評価は低い。いわゆる考古資料の扱いで、よほどの優品でないと美的価値を認められない。逆に言えば日本の縄文土器は世界的にも稀な高い審美的要素を持っているのである。また中国朝鮮といった東アジア圏では、磁器の生産が始まると陶器は格下の雑器の扱いになりじょじょに作られなくなった。しかし日本人は現在に至るまで陶器大好きである。縄文土器を見て美しいな、心惹かれるなと思うのはかなり日本人的な感性で、日本の焼物(陶器)好きは縄文時代からずっと継続していると言える。
硬玉製大珠
右下 栃木県大田原市湯津上出土 長七・四センチ 縄文時代(中期) 東京国立美術館蔵
その他 茨城県常陸大宮市 坪井上遺跡出土 長一一・四センチ(最大) 縄文時代(中期) 茨城・常陸大宮市教育委員会ほか蔵
展覧会には縄文時代の装身具も数多く出品されていた。大珠は新潟県姫川流域で産出されるヒスイを研磨しているので、縄文時代の交易の証左となる出土品である。トリビアだが縄文時代の装身具で一番市場価格が高いのが大珠である。小さい物で数十万、大きな物だと三桁に乗る。それだけ数が少ないのである。
特に右下の斧型の大珠は珍しい。玉斧とも呼ばれる。古代中国では金銀よりヒスイ製などの玉を珍重したのはよく知られている。縄文時代の装身具には石を加工した物が多い。玉(石)しか手に入らなかったからそうしたのか、中国の影響があるのかはもちろんよくわからない。ただ列島には古墳、奈良、平安時代まで、数次に渡って先進文化・技術を持った大陸からの渡来人が大挙してやってきて土着している。微かな痕跡しか残っていないが、縄文時代でも大陸半島から渡来人が来ていたと考えるのが自然だろう。
鶴山裕司
(2018/04/02)
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