もうずいぶん前からですが、中国モノのお作品が増えましたわね。小説はドラマチックな方が読者を惹き付けられますから、男女という性差、貧富、身分などの差があった方がよろしゅうございます。これは社会問題とは無関係でござーますわ。均質な社会になってしまうと物語は生まれないのよ。特に日本みたいに民族や宗教の多様性がいまひとつの国はそうね。
この差は国とか民族の違いでも作れますわ。在日の方が主人公の場合は日本国内での差別がテーマになりやすい面がありますが、中国モノでは日本人と中国人のダブルや、両親が中国人で日本で暮らす中国人の子供の苦悩などがおおございます。日本人作家が取材しても書けますけど、やっぱりルーツが中国にある作家様の方が説得力は高いわね。
これからするのは、レオという人の話だ。ほんとうの名前は王立というらしいけど、ぼくは会ったことがない。もっと言えば、縁もゆかりもない。
じゃあ、なんで赤の他人の話をするのかといえば、レオの身に起こったいろんなことがとても印象深いうえに、ぼくたちになにか大事なことを教えているように思えてならないからだ。
ぼくたちは子供のころからずっと、本気で願えばどんなことでも叶うと教えられてきた。だけどたいていの場合、本気で願ったものとは似ても似つかないものを摑まされる。
レオだってそうだった。彼の身にはもちろん災厄がふりかかる。(中略)その災厄にぺしゃんこにされてしまう。でも、レオは粘り強く運命に抗い、不様に這い上がり、かなりのところまで彼が望むものに近づく。そう、ぼくが知っているどんな大人よりも。
(東山彰良「あとは飛ぶだけ」)
東山彰良先生はご両親が中国人で台湾生まれですが、日本でお育ちになりました。国籍は台湾で日本語で小説をお書きになります。もちろん中国語もおできになります。直木賞作家の先生でもあります。「あとは飛ぶだけ」の舞台は台湾で、主人公は紋身街、つまり刺青師の店が連なる街に住む少年です。彼が大人たちから聞いた、レオという男の話が語られています。香港や台湾では中国人の名前が発音しにくいことから、欧米人の通り名を使う人がおおございます。
東山先生の文章って、すんごく素直で読みやすいのよね。また短編に関しましては、テーマがブレたりすることがござーません。「あとは飛ぶだけ」についてもレオの話をする理由が、「ぼくたちになにか大事なことを教えているように思えてならないからだ」というラインを逸れることがありません。物語の組み立てに自信がおありだからスッキリとした構成になるのね。
「オーデンの詩とかな。『Leap Before You Look(見るまえに跳べ)』」
「そもそも、あんたはなんで彫り師になろうと思ったの?」ニン姐さんが尋ねた。
「上手く言えねえな」ケニーは手に持った氷なしミルクティを見下ろした。でも、ガキのころに読んだ芥川龍之介の『地獄変』の影響はあると思う」
どんな話だそりゃと訊く阿華に、ニン姐さんが手短に答えた。「自分の娘が火に焼かれるのを黙って見てる絵師の話よ」
「え?」ぼくはひっくり返りそうになった。「その絵師はなんでそんなことをしたの?」
「地獄の絵を描くためよ」
あきれ返ってものが言えなかった。絵を描くために血を分けた自分の娘を焼き殺す父親だって?
(同)
僕は炎暑の昼間に、たまたま阿華の屋台に休憩に来た彫り師たちの話を聞くわけです。レオの話をするのはケニーという彫り師で、同じく彫り師のニン姐さんが合いの手というか、ちゃちゃを入れます。ただ短い記述から濃厚に台湾の精神風土が浮かび上がってきます。
レオの父親は飲んだくれのインテリで、海外の詩や小説を翻訳して出版していました。日本の小説なども含まれますが、その中にオーデンの詩がありました。このアメリカの左翼系思想家詩人は台湾でもよく読まれていたようです。レオの父はオーデンの『Leap Before You Look(見るまえに跳べ)という詩行を口ずさんで、つねづね息子に、人間には思い切って跳ばなければならない時があるんだと教えていました。
それとは別に彫り師のケニーは、ニン姐さんに彫り師になった理由を訊かれます。彼は理由の一つに子供の頃に読んだ芥川龍之介の『地獄変』があると言います。芥川の小説も台湾ではけっこう読まれていたんでしょうね。ただこれだけ文学の引用があっても、「あとは飛ぶだけ」にはよくある文学的臭みがありません。地に足がついているんです。
日本ではまだまだ拒否反応が強いですが、刺青は海外ではファッションとしてとてもポピュラーです。ただ刺青に、それを入れる人のなんらかの覚悟や、他者を威嚇する効果があるのは昔も今も変わりません。ケニーは親友のレオに頼まれて刺青を入れてやりますが、レオはガリガリの青年でした。しかし軍隊に入ってもイジメにあいません。ケニーは「いじめられなかったのは、刺青の放つ無言の殺気のおかげだとも言えた。すると、虎の威を借りる狐とおなじで、レオもしだいに刺青の威を借りるようになった、わかるだろ」と皆に言います。
日本文学の刺青の文脈は、谷崎潤一郎の『刺青』から始まっています。ある彫り師が自らの畢生の刺青を彫るにふさわしい女を探します。理想の女を見つけるわけですが、その女はもちろん刺青とは無縁の無垢で清浄な貴女です。彫り師は女を眠らせて入れ墨を彫るわけですが、仕上がると女は彫り師の理想――つまり刺青の模様と観念通りの女に変わっている。自らの欲望が形になると、それに飲み込まれてしまう男を描いた谷崎らしい作品です。
自分の欲望を他者に投影するのは一種の弱さです。また谷崎『刺青』の彫り師は、女にとっては理不尽な刺青を無理矢理入れてしまった加害者であり強者でもあります。しかし自らの欲望が他者の形を取り、つまりは独立して存在し始めると両者の関係は逆転します。弱者であった女は強者が一人では成し遂げられなかった理想そのものとなり、かつての強者を自らの下僕にしてしまうのです。サディズムがマゾヒズムと表裏一体であり、男女の性差において、その立場が一瞬で入れ替わることを描いた傑作でございますわね。
この谷崎的文脈を活用して無数の大衆小説が書かれてきました。今も書かれています。そのくらい大谷崎先生が明らかにした逆転劇は、社会を含む人間関係(人間心理)の本質をついているのです。芥川の『地獄変』も基本的には谷崎作品の文脈に乗っています。最愛の娘とはいえ他者を焼き殺すことによって絵師は地獄を見る。それは絵師が望んだ光景であり、かつ自分では成し遂げられない極点でもありました。ケニーは『地獄変』の読後感を、「そうなっちまうのが恐ろしかったし、そうならねえのも恐ろしかったんだ」と言います。うまいですね。人間は極限を見たいと望む動物でもあるのです。
刺青をヤクザの小道具としてではなく、人間心理に結びつけようとすれば谷崎的文脈は必ず入り込んできます。端的にある本質を描いているのだから当然ですね。だから谷崎的文脈が認められるのはさほど問題ではないのです。問題はそこにリアリティがあるかどうかということ。それが作家様の力量ね。東山先生には当然その力量がございますわ。
「人間ってやつはささいなことで転落しちまうし、ささいなことで立ち直るもんなんだ」ケニーは話を継いだ。(中略)
あの運命の日から数えて五年の月日が流れていた。父親と恋人が手に手を取って駆け落ちしたあの日から。
人を殺そうにも、このままでは無理だ。レオはできることから始めた。(中略)五年かけて太ったんだ、と彼は自分に言い聞かせた。また五年かけて痩せたらいい。(中略)
歯車が正しく動きだした。
レオのたたずまいからは、一度地獄を見た人間だけが持ち得る凄みが出た。(中略)劇団に復帰した彼がほどなく戦争をテーマにした芝居の重要な脇役に抜擢されたのは、そんなわけで、ごく自然の成り行きだったのである。(中略)「存在そのものの説得力」とでも呼ぶべきものが、レオに備わったのだから。
見る前に跳べ――事ここに至っては、認めないわけにはいかなかった。ある人をどんなに憎んだとしても、その人からあたえてもらった正しいものまで憎む必要はないし、それが自分を支えてくれることもある。
(同)
レオは俳優をしていましたが、劇団の女性と恋に落ちます。両親に紹介し、彼女もひんぱんにレオの家を訪れるようになりますが、あろうことか彼女は、飲んだくれのインテリ崩れのレオの父と駆け落ちしてしまったのでした。そのショックからレオは過食症になります。夫に逃げられたレオの母が、むなしさと怒りの入り交じった複雑な感情からレオにいくらでも食べ物を用意します。ただ百五十キロを超えた五年目に、レオは父と元恋人に復讐しようと思い立ちます。でも太りすぎて階段の上り下りすらおぼつかない。そこでレオはダイエットを始めたのでした。
痩せたレオは、まず俳優として復帰して成功の道を歩み始めます。「一度地獄を見た人間だけが持ち得る凄みが出た」とあります。また「あとは飛ぶだけ」の表向きのプロットは、彫り師のケニーが紋身街に刺青除去クリニックを開いたらどうだろうと仲間に持ちかけるところから始まります。ケニーは話の流れで、性格的にも肉体的にも弱かった親友のレオが若き日に刺青を入れ、それを除去した話をしたのです。拒食症になってめいっぱい太ってから痩せると皮膚がたるみます。レオは痩せてから身体の刺青を除去したのでした。
痩せたレオが父と元恋人に復讐したのかどうかは、お作品をお読みになってお楽しみくださいな。ただ「あとは飛ぶだけ」では逆転の文脈がレオ一人の中で起こっています。このプロットを東山先生がまったくの空想から作り上げたとすればかなりすごいわね。ましてや短編でこのネタよ。もっと長い物語にもできたはずだと思いますけど、贅沢ですわねぇ。
ただ「あとは飛ぶだけ」は、人種や国籍に関係のない人間の普遍を描いています。これはこれでじゅうぶん楽しめますけど、東山先生は日本と台湾に足がかりがありますから、この先生の一番のアドバンテージは両国の落差ね。それについては長編でお書きになることと思いますわ。
佐藤知恵子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■