大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『文學界 2017年01月~06月号』をアップしましたぁ。『多和田葉子「文通」(01月号)』、『芳川泰久「蛇淵まで」(02月号)』、『松尾スズキ「もう『はい』としか言えない」(03月号)』、『深田晃司「海を駆ける」(04月号)』、『高橋弘希「送り火」[芥川賞受賞作](05月号)』、『平野啓一郎「ある男」(06月号)』を取り上げておられます。
文学に限らず批評精神は新しいことを始める際には必須です。漠然とであれ、違うんじゃないか、もっと正しい道があるんじゃないかと感じることから批評は生まれます。とはいっても、最初からちゃんとした批評を書けるわけじゃない。たいていの場合、批評は他者を糞味噌に批判することから始まりますな(笑)。近頃ではそういう活きのいい批判すら少なくなりましたが、角川短歌巻末の歌壇時評に登場する若手歌人などは昔ながらの批判の典型例だなぁ。これはこれでよい。そういう活きのいい批判を潰してはいけません。
しかしいつまでも批判のための批判をしていたのではダメです。〝ではない〟じゃなくて〝である〟を示さなければならない。そこまで来ると、やっと批判は批評の最低要件を備えます。自分の批評に責任を持つようになれば、自ずから批評対象も限られてきますし、過去のリソースに対する理解も生まれてきます。批評は思いつきの放言ではない。
この〝である〟が過去のリソースの的確な批判に基づく建設的批評であるならば、未来に向けて一定の影響を与える可能性が生じます。批判を建設的肯定に高めた者だけが批評家として表舞台に立てる。いい年して批判ばかりしているのは単なる未成熟です。ツイッター止まりだな。
大篠さんの批評は厳しいですが、批評対象の作品に即しています。文芸批評で大半を占めるようになった、批評家が自己の思想や意見を言うために文学作品をダシにした批評モドキではない。大篠さんのような批評が普通の文芸批評の姿です。ポスト・モダニズム批評かなんだか知りませんが、文芸誌に掲載されている批評の方が歪んでいる。文芸批評はどこまで行っても文芸批評。作品を正確に読んで自分の力で考えるのが原則です。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評『文芸5誌』『文學界 2017年01月~06月号』■
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