原作小原眞紀子、作露津まりいさんの連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第25回)をアップしました。第13章『すべてを覆う胡桃入りスプレッド・クリーム』(後編)です。そろそろ大団円ですが、最後まで気を抜けないサスペンス小説です。
自由詩の場合は勝負が最初の数行で決まってしまうことが多いですが、小説は最後まで読まないと善し悪しがわからないことが多いです。自由詩がある直観を表現する芸術であるのに対し、小説はその構造を含めて真価が問われる言語芸術だからです。簡単に言えば、書くのも読むのも一定の忍耐が求められる小説では、作品が完結し作家の世界観が露わになって初めてその文学的価値をうんぬんすることができるわけです。
小説技法が飽和に近いところまで露わになっている現代では、特に大衆作家は〝ツカミ〟が非常に上手くなっています。最初の50ページくらいは文句なしという作品がけっこうあります。立ち読みした読者を逃さない小説の書き方です。頭の方で謎めいた事件が次々起こるんですね。ただ最後まで読んで秀作と思える作品は少ない。作品全体の構造がわかると冒頭のセンセーションに比べて、作家の世界観が意外と平凡だったことがわかってしまうんですね。
逆に言えば、現在のような技術飽和時代に大衆小説を書くのなら、ツカミをきちんと作る必要があります。エンタメ系作品を書くのに、純文学的なもったいぶった書き方をするのは絶対に不可です。いきなり事件を起こして読者を虜にする必要がある。これが大衆作家に求められる最低限のハードルです。
これを越えてどこまで作品のレベルを上げてゆくのかは作家の志次第ということになります。石川は日本の純文学・大衆文学制度に懐疑的です。サスペンスでもホラーでも、作家が作品で提示する世界観が斬新なら純文学だと考えます。実際、名作と呼ばれる作品はベストセラーにならなくても、ロングセラーがほとんどです。また読むのに恐ろしく苦痛を感じる作品はほぼない。文学金魚連載小説では小原・露津コンビと遠藤徹さんの作品は日本の文学制度から言えば大衆文学に分類されると思いますが、その世界観から言えば純文学だと判断しているわけです。
■ 小原眞紀子・原作 露津まりい・作 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第25回) 第13章『すべてを覆う胡桃入りスプレッド・クリーム』(後編)縦書版 ■
■ 小原眞紀子・原作 露津まりい・作 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第25回) 第13章『すべてを覆う胡桃入りスプレッド・クリーム』(後編)横書版 ■
■ 第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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