小原眞紀子さんの新連作詩篇『Currency』『日』(第01回)をアップしましたぁ。『ここから月まで』に続き、小原さんの新連作詩篇『Currency』を今月からアップします。〝Currency〟には通貨や流通の意味があります。リードに『世界は変わりつつある。最初の変化はどこに現れるのか。Currency。時の流れがかたちづくる、自然そのものに似た想念の流れ。抽象であり具象であるもの。詩でしか捉え得ない流れをもって、世界の見方を創出する』とあるように、詩で現代を捉えようとする小原さんによる〝新自由詩〟です。
日は上がって
(影は横ばい
日は下がって
(影は横ばい
地べたに投げ出された
其方らの身長は
長く短くうねるよう
一日のうちに
童話の少女のように
言葉数が溢れてくる
(小原眞紀子『日』)
小原さんには単行本『文学とセクシュアリティ-現代に読む『源氏物語』』の校正を行っていただいています。詩、小説、評論をお書きになるので、詩人プロパーと呼ぶことはもうできないですね。ただ詩が小原さんの表現の中心になっているのは確かだと思います。詩が表現の中心ということは、直感=正しいヴィジョンを追い求めているということです。
石川はくどいくらい書いていますが、詩人は詩の世界だけに閉じていたのでは絶対にダメです。詩人は胸に手を当ててみればすぐわかるはずですが、詩の世界ではダメ出しが出ません。商業詩誌に書いたって、99.9パーセントの確率で原稿がそのまま掲載される。不十分な内容だろうと舌っ足らずだろうと、掲載されれば詩人は〝ああこれでいいんだ〟と思ってしまう。それは非常に危うい。
一昔前の詩人は現代詩手帖なんかを足がかりにして、小説文芸誌などにノシてゆくのを目標にしていました。同人誌でちょいと注目されて、現代詩手帖に拾ってもらって、そこで実績を積んでより広い文学の世界で活躍するという道筋が漠然とあった。もっと具体的に言うと、同人誌を睥睨する詩誌月評をやって、詩集の評価を決めるかのような詩書月評のポジションに立って、数年後に手帖時評をやれば現代詩手帖は卒業できるかも、というコースがあった。詩人さんたちにとっては同人誌も現代詩手帖も、小説文芸誌なんかにノシてゆくための踏み台だったわけです。このコースに乗っかれたのは松浦寿輝さんが最後かな。
現在そのコースは〝消滅した〟と言っていい。小説文芸誌を始め、詩人が憧れていたメディアは他ジャンルの作家を拾い上げてそこそこの書き手に育て上げてゆく力を失っています。小説文芸誌などが気まぐれに発注してくれる詩の欄を埋めたって、何一つ変わりやしません。またサラリーマンと変わらない文学の世界でのステップアップ自体、とってもいじましい。座布団敷いて、ある日誰かが自分にスポットライトを当ててくれるのを待っているようなものです。そういった他力本願システムが消え去ったのが現代です。
もちろん詩の世界でダメ出しが出ないということは好き勝手やっていいということであり、そこから新しい作品が生まれる可能性を期待してのことです。ただそれは常に〝外部=社会〟を視野に入れていなければ不可能です。自分で自分にダメ出しできる作家が外部=社会を見出すのです。しかしたいていの詩人さんたちはどんどんギョーカイに閉じています。ギョーカイ人になってしまえば絶対に新しい仕事はできない。詩人は自発的に〝オリジナルの仕事を作り出す〟必要がある。
耳にするたびうんざりしてしまいますが、詩人くらい〝企画〟を口にしたがる人たちはいない。誰かを、なにかのメディアを巻き込んで漁夫の利を得たいと言ってるのと変わらない。年に数回同人誌を出して商業詩誌に数篇の詩と何十枚かの評論を書き、仲間といっしょにぬるい誉め合いの場に過ぎない朗読会に参加して憂さを晴らしてるのではダメです。ほとんどの詩人さんは自分が思ってるほど仕事をしていない。小説家がどっかで詩人を軽んじてる理由もそのへんにあります。
■ 小原眞紀子 新連作詩篇『Currency』『日』(第01回)縦書版 ■
■ 小原眞紀子 新連作詩篇『Currency』『日』(第01回)横書版 ■
■ 第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
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