原作・小原眞紀子、作・露津まりいさんの連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第22回)をアップしました。第12章『荒熱を冷まし、焦げはこそぎ落とす』(前編)です。小原・露津コンビの『お菓子な殺意』はサスペンス小説で、日本文学の暗黙の了解に従えば大衆小説ということになります。現実的には石川もそれでいいと思います。純文学の烙印を押されると、よほどの僥倖がない限り売れない小説(作家)だと言われているような気がしますから(爆)。ただ理論的には意義があります。
日本の純文学はどう見ても〝制度〟です。純文学誌と呼ばれる文芸誌が5誌刊行されていて、そこに掲載される作品が純文学だという認知が一番手っ取り早く正確です。ただ純文学誌を読んでいればすぐわかりますが、大衆文学に分類しても構わない作品がたくさん掲載されている。別に掲載基準なんてないんです。それから質が高いかというと、内容はともかく、まず技術的にこりゃ素人だなって作品がけっこう載っています。過去に数々の純文学作家を輩出したという遺産の記憶が今も続いているからそうなっているのですが、現状は混沌状態です。
誰だって美術館に堂々と贋作が展示されていれば、そりゃおかしいんじゃないの、と言いますよね。文学の分類方法や評価基準は曖昧ですが、ある程度の筋は通す必要がある。業界で〝権威〟なんだからそこに掲載される作品に権威付けが為されるというのはあまりにもお粗末です。雑誌は固有のアイデンティティを死守して、一定の評価基準と美意識を対外的に示さなければ権威の座から滑り落ちる。今の純文学系文芸誌、危ういです。
文学金魚では折に触れて純文学とは何か、起承転結がありヒューマニスティックな終わり方でいい大衆文学と何が違うのか論じてきました。メディアのアイデンティティ確立のために必要だからです。難しく考えてもしょうがないんで、純文学とは文学を成立させる最も〝純な要素〟だと定義します。それが含まれていれば現実制度の大衆文学と純文学の区分な問題ではない。文学金魚的基準では松本清張や有吉佐和子、夢枕獏、江國香織さんらの諸氏も純文学作品を書いている。もちろん小原・露津コンビも純文学作家です。
■ 小原眞紀子・原作 露津まりい・作 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第22回) 第12章『荒熱を冷まし、焦げはこそぎ落とす』(前編)縦書版 ■
■ 小原眞紀子・原作 露津まりい・作 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第22回) 第12章『荒熱を冷まし、焦げはこそぎ落とす』(前編)横書版 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■