大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.116 小谷野敦「東十条の女」(文學界 2017年08月号)』をアップしましたぁ。文芸誌時評を掲載すると、ちょっとギスギスした感じになりますなぁ。古本屋なんかのワゴンで昔の文芸をを手に取ればわかりますが、こんな作家いたんだという目次が目に入ってきます。その中で今も知られる文学者の名前を見つけると、なんか得した気持ちになったりする。文芸誌ってそんなもの。数年の単位で見れば、有名誌に書いてることがすんごい名誉で出世に思えることもあるでしょうが、ほとんどの作家が消えてゆく。雑誌は〝雑〟なのであります。
ただ良くも悪くも文芸誌が文学の前線であるのは確かです。最前線は一人の作家が知力を傾けた一冊の本で切り拓かれることがありますが、今の世の中全体の雰囲気を把握するには文芸誌がいい教材です。それをお手本にするかどうかはまた別の問題です。ただ作家志望の人は文芸誌で何が起こっているのかを、ある程度は知っておかなければなりません。万が一、本を出して作家デビューして多少売れれば、必ず文芸誌との接点は生じます。その時、文芸誌というプラットフォームのあり方に驚いたのでは遅い。最低でも三年や五年はどうしていいのかわからず足踏みすることになる。デビュー当時の怖いものしらずを失って、二度と浮かび上がれない作家もいます。
中を覗けばわかるとしか言いようがないですが、日本の文壇はかなり特殊です。ちょっと向こうっ気の強い作家はなんとかこの特殊な風土をスルーしようとあがいてきましたが、うまくいっていない。文学というハコを抑えているのが文芸誌とその母体の出版社なのだから当たり前と言えば当たり前。もちろん現代は一昔前に比べて格段と、既存文学とは違うシステムを構築できる可能性が現実にあります。ただ新たなテクノロジーを得ただけではダメ。文学とは何かがわかっていなければ、笛吹いても誰も踊らない。現状の文学界をしっかり理解した上で、新たな方向性を築かなければうまくいかないのは当然のことです。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評『文芸5誌』『No.116 小谷野敦「東十条の女」(文學界 2017年08月号)』 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■