大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.115 松浦寿輝『二羽の鶴の怪あるいはなぜ歌仙「夕東風の巻」はたった十二句で途絶しなければならなかったのか』(文學界 2017年07月号)』をアップしましたぁ。文学の世界で一番重要なのは創作です。石川はいろんな方に原稿を依頼しなきゃならないので、んなこと言うと問題になりかねませんが、事実です。だけんどジャーナリズムの華は批評です。いい評論が牽引しなければいい創作は生まれない。文学金魚の場合もそうだと考えています。
文学金魚では文芸誌時評をずっと続けていますが、これは紙媒体の文芸誌をフラットに批評する場です。当たり前のことですが、誰もがお世話になっている文芸誌などには物言いにくい。それに日本の純文学は、素人さんはともかく、業界人全員が、実質的に文學界と文學界編集部が強い発言力を持つ芥川賞中心に回っているのを知っています。現実に力を持っている以上、文學界さんにも芥川賞さんにもうかつなことは言えない。
芥川賞受賞作を読んだ方はわかりますよね。なんでこれがすんばらしい文学なんだろうって、首をかしげることが多い。答えは簡単。芥川賞受賞作だからです。ほんで文學界系作家は芥川賞を頂点として、つまり芥川賞はもう受賞できないけど、芥川賞とほとんど質が変わらない作品を書いても本が売れないから、じょじょに文学の世界から消えてゆくことになる。
大篠さんの批評は、やっばいなぁ、と最初思いましたが、まあ誰かが書いた方がいい内容だと思いGOを出しました。んでまあ言ってみれば文学金魚名物になっております。だって実際大篠さんの読み通りだもの。俺の、わたしの本が売れないのは読者が悪いと言える作家はそうとうに幸せだと思います。ふつーの読者の視線から見れば売れなくて当たり前。で、なぜ売れない作品を書き続けているのかといえば、それを評価してくれるギョーカイがあるから。でも作家としての幸せ――原稿を次々に書いて、それが本なり、読者が新刊を心待ちにしてくれる――を求めるなら、ギョーカイを抜けないまでも相対化は必須だと思います。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評『文芸5誌』『No.115 松浦寿輝『二羽の鶴の怪あるいはなぜ歌仙「夕東風の巻」はたった十二句で途絶しなければならなかったのか』(文學界 2017年07月号)』 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■