季刊雑誌はいつ手に取っても、久しぶりな気がするものだ。それがいいことか悪いことかは時と場合による。一番問題なのは、いいも悪いもなく、どっちでもいいと思われることだろう。季刊雑誌はこの、どっちでもいい感をいかに回避するかという重大なミッションに気づいているかどうかが最初の分岐点になる。月刊から移行すると、意外と気づきにくい。
「気づきにくい」と書いて、ふと思ったことで脱線するが、最近「気づき」という言葉をしばしば目にするし、耳に入ってくる。「気づく、気がつく」を名詞形にしたもので「発見」という意味である。ただ「発見」はやや大仰に響くので、「ちょっと気がついた、そこから学習することができた」というぐらいの雰囲気だ。すなわち「気づき」があり「学び」がある、というわけだ。
「学び」はそれより以前から使われて、それも少し気になっていたが、「気づき」というのが使われるようになって、本当に落ち着かなくなった。日本語の乱れをいうのではない。JKが生み出すような言語ならいいし、それが混ざり込んで文法が壊れるのも小気味よい。ただなんとなく、大真面目な顔して、実は鈍感で美意識に欠ける言葉遣いには苛つく。イラっとくる、というやつだ。
文芸誌のものすごくベーシックな定義として「気づき」という名詞形が使われていない、絶対にどこにも使われていない、というのはどうだろうか。一個でも見つかったら警報音が鳴り響く。なぜなら文学とは言語を介した自意識だから。そこまで無自覚な者は、たとえインテリであっても、少なくとも文学に無縁であるはずだから。
それでいくと、もちろん三田文學も文芸誌だと思う。それでなおかつ季刊誌だから、先のミッションも課される。気づいているかどうかは不明だが、久しぶりに手に取られることについて、別にどっちでもいいと思われることに対し、三田文學なりのソリューションを見い出してきたのは、さすがに歴史がある、と言いたい。が、実際には歴史のためではないかもしれない。
歴史的に見れば、三田文學は大学雑誌の体裁をとりながらもスマートな文芸誌だった。そのスマートさは代々の編集長によって自覚的に継承されてきた。編集長は三田出身の名のある文学者で、しかも編集判断を下すだけの社会性と常識を備えていた。なんだかんだいって、三田はそのくらいの文学者を輩出してきたのだ。二十年ほど前までは。
その頃まで、三田文學が季刊であることは、スマートさの中で消化されてその一部と化していた。おかしくなったのは三田文學の編集という、(慶應三田会が日本経済に与えている影響からしたら)ごくちっぽけな権限を利権化したがる無名の輩が跋扈し始めてからだった。名のある文学者なら、とうてい恥ずかしくて思いつきもしないようなことだ。
今の三田文學はそこから回復しようとして、リハビリ途上であるのかもしれない。病いの記憶と怖れから、合議制っぽさが目につく。それが新たな火種になる可能性もあるが、今のところそんな緊張感より、何かというと合評会を開いている大学サークルのりだ。ただ三田文學自体の前号の読み合わせ、結果としての自画自賛を掲載するのは、学者スタッフの素人っぽさ全開だ。さすがにみっともないという「気づき」がほしい。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■