高嶋秋穂さんの『歌誌時評』『No.042 特集「佐藤佐太郎没後三十年 佐太郎の短歌作法」(角川短歌 2017年08月号)』をアップしましたぁ。佐藤佐太郎は明治四十二年(一九〇九年)生まれ昭和六十二年(一九八七年)没、享年七十八歳の歌人です。斎藤茂吉「アララギ」系の歌人で写生短歌を得意としました。でも佐太郎の写生は独自です。
杖ひきて日々遊歩道ゆきし人このごろ見ずと何時人は言ふ
ここの屋上より隅田川が見え家屋が見え舗道がその右に見ゆ
あぢさゐの藍(あゐ)のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼
わが乗れる夜行車過ぎて踏切の鐘鳴りゐたるころ思ひ出づ
最後の夜行列車の歌について、高嶋さんは『これもなんてことはないですが佐太郎らしい作品です。通り過ぎてからふとあれはなんだったんだろうと振り返ってしまう。振り返っても後ろ姿しか見えないのですがそれが長く脳裏に焼き付くのです』と批評しておられます。佐太郎の短歌は、なんてことないようですが、ずっと心に残る歌が多いですね。
文芸誌で特集を組む際に個人を取り上げる場合、物故作家中心になるのは一つの常識です。現存作家らのリアルタイムの動きは玉石混淆で、文学的価値を正確に判断しにくいからです。実際ある程度長い年月に耐えた作家の仕事でないと、現代人の参考になりにくい。現存作家の特集は、よほどはっきりした実績がないと茫漠としたものになりやすい。
ただ句誌と自由詩の詩誌ではしょっちゅう現存作家の特集が組まれています。これはまーはっきりいえば現世利益特集なんだな。句誌では大結社主宰の小特集が組まれるのがほとんどで、これは門弟などの購買を期待しています。詩誌では自社刊行物のPRお手盛り特集がほとんどです。どの雑誌でもやっていますが、あまり露骨だと雑誌の権威が失墜する。
石川は文芸誌、句誌、歌誌、詩誌を斜め読みしてますが、素人っぽい編集だなぁと感じることが多くなっています。素人っぽさというのは、簡単に言うとバランス感覚を欠如させていること。明らかに編集者の質が下がっています。大家、若手、特集をバランス良く配置しないと雑誌は○○壇パラダイム雑誌にならない。どのメディアも私企業が出しているわけで自社利益優先なのは当然ですが、それをこらえて○○壇の公器をよそおわなければ読者の支持は集まらない。石川はぜんぜん短歌に興味がなく歌も詠みませんが、一番バランスがとれているのは角川短歌さんだと思いますぅ。
■ 高嶋秋穂 『歌誌時評』『No.042 特集「佐藤佐太郎没後三十年 佐太郎の短歌作法」(角川短歌 2017年08月号)』 ■
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