高嶋秋穂さんの『歌誌時評』『No.041 「対談 31文字の扉-詩歌句の未来を語る 佐伯裕子×恩田侑布子」(角川短歌 2017年07月号)』をアップしましたぁ。岡井隆さん主宰の歌誌「未来」選者の佐伯裕子さんと、俳句同人誌「豈」同人の恩田侑布子さんの対談を取り上げておられます。歌人では魅力的作家がけっこういらっしゃいますが、俳壇で個性(独自性)があって今現在魅力的作品を量産できるのは、恩田さんと櫂未知子さんが双璧かもしれません。
恩田 「私」が無くなって現実逃避になっていく。虚子の「極楽の文学」を表面的に理解して、花鳥諷詠さえ詠っていればいいということで、現代にも自己の問題にも目をそむけてしまう。退嬰的、後ろ向きの人間になってしまうのが俳句の陥りやすいところで、それを俳人は気を付けないといけない。
佐伯 モダンなのですね。それなら、歌は告白癖に気を付けないといけない(笑)。そのまま告白することが、楽になっていくんですよね、だんだん。
(佐伯裕子×恩田侑布子「対談 31文字の扉-詩歌句の未来を語る」)
ものすごく単純に言うと、俳句では私性が希薄になり、短歌ではくどいくらいの私性のオンパレードになりがちだということです。高嶋さんは『極楽は美しいかもしれませんが退屈です。じゃあ俳句は自我意識を取り込めばいいのかというとそうでもない。自我意識を表現するにしても一種の抽象の内面化(自我意識化)の道筋しかないのです。恩田さんの「俳句拝殿説」はそのようなもどかしさも含んでいるでしょうね』と批評しておられます。
石川は詩誌を斜め読みしていますが、歌誌はけっこう面白いです。短歌には佐伯さんがおっしゃるような『告白癖』がありますが、それが人間への興味となって表れるので短歌に一生懸命でない人間が読んでも楽しめる。句誌の場合は大半が〝テニオハ指導〟で埋まっているのであんまり面白くない。我慢して読んでも決定打と言えるような説得力はない。技法は小手先技術になりがちですが、技法を生み出す本筋の議論が欠けている。自由詩の詩誌は論外だな。論理的整合性すらとれていない文章がほとんど。読むとマジうんざりする。現代詩の時代は詩人は飛びっきりのインテリ揃いでしたが、まーほんとに頭の悪い人たちが詩壇的詩誌に肩寄せ合ってますなぁ。
インターネット高度情報化社会は、社会全般で既存の枠組みが溶解し、様々な要素が混ざり合い越境し合って新たな知やシステムが生み出される時代です。そんな知の越境時代になって文学者の保守性が目立つようになっています。自分の表現ジャンルにしがみつき、古き良き文学幻想にすがろうとしているところがある。現代的変化が怖いんだろうなと思います。
ただ現代的変化はもう止められない。文学の古き良き伝統を守るとしても、現代にアップデートしてからでないと誰も納得してくれない。少なくとも自己の表現ジャンルだけに閉じていたのでは絶対ダメです。視野を大きく広げなければ、現代は見えてきません。
■ 高嶋秋穂 『歌誌時評』『No.041 「対談 31文字の扉-詩歌句の未来を語る 佐伯裕子×恩田侑布子」(角川短歌 2017年07月号)』 ■
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