KAAT神奈川芸術劇場<NIPPON文学シリーズ>第2弾
地点(CHITEN) 『トカトントンと』(2012年2月9日—14日)
原作:太宰治 演出:三浦基
鑑賞日 2月13日 於 KAAT神奈川芸術劇場
まずは背景と舞台の傾斜に目を奪われた。銀色の正方形パネルが背景一面にタイル状に並べられ、揺れ動いている。そして奥へと傾斜した舞台板は、一方で傾斜の弱い観客席からは床表面の様子が見えないようになっている。俳優がうずくまれば、舞台の縁に隠れて見えなくなる。奥に立てば、実際以上に遠くに見える。建築家、山本理顕が手がけた舞台美術の遠近法は、限られた劇場空間をはみ出して拡がる劇空間を生み出した。
地点(CHITEN)は2005年に拠点を京都に移して活動を本格化させた若い劇団だ。以来チェーホフの上演を中心に近代化のテーマに取り組んできた。日本文学を題材にした上演はKAAT(神奈川芸術劇場)との共同制作がきっかけだったという。昨年の<NIPPON文学シリーズ>第1弾では芥川龍之介を取り上げ『Kappa/或小説』を上演した。第2弾は三浦が秋田で過ごした中高生時代に愛読したという太宰治。戦後にあたる時代に発表された短編『トカトントン』に、同じく戦後作品の『斜陽』からの抜粋を交えて構成した上演だ。
開演時間となり、舞台の幕が上がる。緞帳は用いない。演劇の開始は、俳優のアクションに依存している。俳優が立ち上がる。発声する。それらのアクションが観客の目に見え、耳に聞こえたときに、演劇が始まる。この瞬間、入場してからずっと見えていた劇場空間は見えなくなり、見えなかった劇空間が見えてくる――その「遠さ」にぎょっとした。
錯覚的な遠近法による空間の拡がりという意味だけではない。俳優と我々観客との存在の距離感。筆者には終幕まで、五人の俳優たちがこの世のものともあの世の者とも判断がつかなかった。さらに言うと、彼らが複数を表しているのか、単数を表しているのかもわからない。時間的な隔たりもある。原作小説内の時間は現代から見て67年前の終戦後と定まっているが、舞台に上げられた時間は不定だ。ある俳優(阿部聡子)の衣装には、古地図の町名のようなデザインで「桜木町」と描かれているが、この固有名詞一つを取っても時間的な守備範囲は大正から現代までをカバーするのだ。固定を促す要素は舞台上から徹底的に捨象されている。見えなかった劇空間が見えてくる――が、見えていたものも依然として見えている。俳優は五人だ。しかし五人の「誰か」はわからない。あるいは五人で一人かもしれない。しかし一人の「誰か」はわからない。故に幻視は不可能だ。それは終幕まで錯視の劇空間なのである。その、「遠さ」(というのは、筆者が錯視に抱く感覚的なイメージだ)。
錯視の要因は大まかに二つのレベルに分類できる。視覚的錯視と聴覚的錯視。端的に言えば、舞台と台詞だ。まず舞台について。演出家、三浦基の公演前のインタビューによれば、この舞台の狙いは風と焦土の表現にある。戦争で焼け野原と化した「何もない」国土。風そのものが目に見えないのと同じく、三浦は舞台の床そのものを観客の目から隠した。風はパネルを揺らすときにはじめて見える。舞台の床は、役者が立ちあがるとき、小道具を床から取りあげたときに、その存在が束の間見える。
舞台に風が送られるとき、背景は銀色の海面に泡が沸き立つようにも見える。『トカトントン』の物語も海の傍で展開する。舞台と小説の背景は重なっている。実際の舞台では、観客は容易に大小の送風機の正体を見てとるだろう。しかし、送風機は上演と小説が重なり合うところに泡立つ海を作り出す。その機械の動作音は、戦闘機の爆音や空襲のサイレンのようにも聞こえる。すると舞台上に立ち上がり揺れ動く五人の役者は、焦土と化した街、畑、海辺をさまよう亡霊にも、罹災者のようにも見える。足元が傾斜に隠れているのが効いている。
いま多用した「〜のようにも」という錯視。舞台上のあらゆる表現活動は、原作の小説世界に読者が等しく想像しうる事物に肉薄しつつ、しかし決して幻視的に固定されない。この舞台の上に、五人の役名を持たない俳優が立ち表れる。彼らによって、玉音放送が再演され、敗戦が嘆かれて、『トカトントン』の書簡文体が語られることになる。それら全てが彼らの台詞だ。しかし、台詞の発話者が「誰か」わからない。ここに聴覚的錯視が入り込んでいる。そしてこの問題は、じつは原作小説の構造に起因する。
原作『トカトントン』には三人の語り手が現れる。トカトントンという金槌の音に悩まされていることをある小説家に告白する手紙の書き手、ほとんどそっけなくあしらうように返信する当の小説家、そしてそのような手紙の交換があったことを伝える語り手——つまり構造上は『トカトントン』の語り手でもある。手紙とその返信は、第三の語り手によって再読(あるいはリライト)されていると考えられる。すなわち「物語づけ」られているということだ。まずこれが原作の構造の大枠となる。
手紙が告白するのは、青森の片田舎の郵便局に勤める二六歳の若者の戦争直後の精神生活だ。彼は千葉の防岸拠点で玉音放送を聞き、終戦を知った。死のう、と決心した瞬間、兵舎のほうから聞こえたトカトントンという金槌の音に打たれ、もうなにもかもどうでもよくなってしまい、以来、何か心を強く動かされる度にトカトントンの音が聴こえて、芸術にも、恋にも、仕事にも、思想にも、手紙を書いている事にさえもまるで関心が無くなってしまうのに苦しんでいるという。そんな風に書かれた手紙だから、大半がでたらめかもしれない、それでもトカトントンの音だけは本当らしい。「読みかへさず、このままお送り致します。」読みかへさず、とは言っても、手紙を書くという表現行為は、書くべき事柄の再読に他ならない。ここでも、虚実ないまぜに、「物語づけ」られていることが確認される。
このようにして、小説は複数の語り部によって二重の物語づけを施されているのである。では、そのテクストを再度分解し、「物語づけ」ることとなる三浦の演出は、台詞の発話者(主体)をどう処理するのか。もちろん、発話者が「誰か」はわからないままだ。しかし、観客が覚える聴覚的錯視は、次第に「劇中劇」という構造に取り込まれていく。
ここで確認しておきたいのは、三浦が自著『おもしろければOKか? 現代演劇考』で述べる「持ち台詞」という概念だ。この概念は三浦にとっての稽古の基盤となる。俳優はまずそれぞれにあてがわれた台詞を徹底的に頭に叩き込み、いつでも取り出し可能な状態を作り上げる。そして即興演技のなかで、俳優はそれぞれの「持ち台詞」を自らの判断で発語する。そうした実験の反復で新発見される俳優同士の関係性や台詞のリズムが、上演の台本を作り上げていく課程を、三浦は稽古と呼んでいる。
『トカトントンと』には、配役が無い。故に発話者が構造的に不在のまま、テクストだけはそれぞれの俳優の持ち台詞に分類されている状態である。しかし、台詞が発話されたとき、彼らによって、手紙は再読され、手紙の中の人物が再演されている。役名の無い俳優たちは、「劇中劇」を演じる「俳優たち」という役を見い出す。依然として続く錯視の舞台の上に、幻視の内舞台が作り上げられる。「俳優たち」はこのとき初めて戦争直後の「何もない」焼け野原に立つ。『トカトントン』を台本として読み込み済みの大人たちとして。彼らは、とりわけ「でまかせ」の可能性に、新たな「物語づけ」の始点を見いだしている。よって上演序盤から激しく繰り返されるのだ。「嘘です!」「嘘です!」「嘘です!」
「劇中劇」中のトカトントンは、『トカトントン』を再読した大人たちの嘲笑の文句に変わる。生きているのか、死んでいるのかもあやふやな戦争直後の日常には、早速、容赦なく日本復興の槌音が振るわれている。しかし大人たちはみな精神生活で呆然自失している。それぞれに、情緒不安定に、ときには「恋と革命」を生の標榜に掲げてみたりして。だから手紙が皮肉で滑稽なのだ。若い告白を嘲笑し合い、同じ声が自嘲になって返ってくるのを、再読し、再演している。
トカトントンの槌音は、実際に金槌のパーカッションとしても上演される。トカトントンは音楽に変じ、音楽は賛美歌になり、古ぼけたアコーディオンが奏でる国歌になり、再びトカトントンの反復として最後に登場する男の子(庸雅)に引き継がれる。この男の子は幻視の「劇中劇」の登場人物だ。双眼鏡を持っている。大人たちに促されて、双眼鏡で舞台の縁から外を覗き込む。視界に見えるのは我々「現代の」観客だろう。しばらくそうして立ち上がり、大人の一人(阿部)とともに、舞台奥へと元気に退場する。「劇中劇」の終幕。原作を離れたこの静かな一場面は象徴的だ。男の子の役割は、再読/再演の舞台から大人を退場させることにある。男の子が阿部に手を取られていたのは立ち上がる瞬間だけで、そのあとは阿倍の手を取るかたちで、前を向いて元気に退場していく。戦争直後の茫然自失の表情を浮かべた大人たちを、子どもが戦後へと連れて行くのである。
そして再び、五人の俳優は役を失う。錯視の舞台はずっと継続していた。観客も、そのことを再び思い出す。五人の俳優はそれぞれの持ち台詞の大部分を、「劇中劇」で消化してしまったが、『トカトントンと』を閉じる為の台詞は残してある。俳優はもう一度、若者の手紙のテクストに忠実に「でたらめ」を示唆する。ここで聴覚的錯視の程度は最高点に達するのだ。最後に、五人の俳優は声を合わせて、これまでの演劇全体を批評する。やや嘲笑的に。「気取った苦しみですね。」
この最後の瞬間に、三浦の批評性が結実していると考える。五人の俳優が批評した「劇中劇」の生滅は結局のところ、我々観客の観劇行為が生み出すものである。我々は五人の俳優が「誰か」を知りたがる。錯視状態からの逃避、と言えるかもしれない。逃避先の幻視空間のうちに、我々は戦後の虚無感を見つけ、さらにそれが脈々と現代にまで至る文脈であることに感動もするだろう。そして劇場を出れば、そのような感動はエンターテインメントとしての観劇体験のうちに包摂されてしまう。そのような感情移入や問題処理を、「気取った苦しみ」だと三浦は評する。
作劇と観劇の共犯関係に対する、観客の無自覚さへの問題意識の喚起という点で、複雑ながら機能的な作品だ。現代演劇の鑑賞者には錯視し続ける覚悟がいるのだ。舞台上の俳優は、俳優に過ぎないこと。俳優と台詞の発話者としての役を結びつけるのは、我々の観劇行為なのである。エンターテインメントの語源は「招待、もてなし」だ。このような受動的な観劇から、エクスペリエンス(ex-peri-ence「完全にやってみること」)としての能動的な観劇へ自覚的になったとき、演劇はより現実を揺さぶるリアリティを得るだろう。
星隆弘
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■