文学金魚編集人の石川さんが、やたらと「ほら、やっぱ季節感っで大事じゃないですかぁ」と言うので、このところクリスマスに骨董エセーを掲載するのが恒例になっている。といっても僕はキリスト教徒じゃないので、あくまでクリスマスっぽい骨董や美術品をお目にかけるだけである。去年おととしはロベール・クートラスについて書いたがもうネタがない。イコン系で書こうかと思ったが、このところえっらいマニアックな骨董が続いたので、ここは骨董と言えば陶器だねということで、マジョリカ陶を取り上げることにした。カトリックの総本山があるイタリアで作られたという以外はキリスト教とは関係ないが、クリスマスっぽい清潔な感じのするマジョリカ陶である。
ただまあマジョリカ陶はけっこう悩みの種なのだ。この連載で何回かオランダのデルフト陶を取り上げたが、元々残存数が多いせいかデルフトは入手しやすい。しかしたくさんあると言っても日本とヨーロッパは遠く離れている。いくら現代は物の流通が盛んでも伊万里のようなわけにはいかない。本場オランダで作られた典型的なデルフト陶はすぐわかるが、フランスやイギリス産になると、「んんんっ」と悩んでしまう。オランダから伝播していった柔陶の焼物はデルフト焼と総称されることが多く、フレンチ・デルフト、イングリッシュ・デルフトと呼んだりする。使っている土や絵付けの違いから産地を特定できることもあるが、専門家でもわからないことあるのだ。マジョリカ陶はデルフトよりも日本で流通している数が少ない。しかもパッと見るとデルフト系陶器によく似ている。
今回紹介するマジョリカも、「イタリアだよなぁ」とは思ったのだが自信がなかった。ただ箱がついていて、貼札に「色絵マジョリカ アンドロメダ図 イタリア ファエンツァ 十七世紀」と書いてあった。骨董好きは、こういう箱書きを頭から信用したりしない。何度も痛い目に遭っているのだ。贋作や産地、時代、作者違いの骨董を掴むときは、ほとんどの場合言葉に惑わされている。しかしよく見ると貼札が、もう閉店してしまったが、西洋骨董を専門に扱っていた三日月のものだった。東京の芝大門にクレッセントというフレンチ・レストランがあるが、そこにあった骨董店である。名店として知られ、店主の石黒孝次郎さんは目利きだった。ということは貼札の言葉は信用できる。見込みに描かれている絵がアンドロメダであることも間違いない。
『色絵マジョリカ アンドロメダ図』イタリア ファエンツァ 表・横 十七世紀(著者蔵)
口径二七・七×高六×高台径一〇・九センチ
アンドロメダは言うまでもなくギリシャ神話に登場する美女で、ペルセウスの妻である。おごり高ぶった母親のカシオペアが神々より自分は美しいと豪語したので神の怒りに触れ、娘のアンドロメダが怪物ケートスの生け贄に捧げられることになった。そこに見た者を石に変えると恐れられたメドゥーサを退治したペルセウスが通りかかり、ケートスにメドゥーサの首を見せて石に変えて救い出したのだった。
ギリシャ神話ではアンドロメダは、波が打ち付ける岩場に鎖で繋がれたことになっている。そのため絵画では全裸のアンドロメダが描かれることも多い。ただ女性を好んで描いたが、マジョリカ陶にヌードの女性は少ない。何かルールがあったのかもしれない。また生け贄に供されたのがアンドロメダの人生のクライマックスだが、マジョリカ陶のアンドロメダはずいぶん呑気な雰囲気だ。野原を散歩しているかのようだ。服を着て王冠のようなものを頭に載せているが、白人か黒人かも判然としない。髪型は黒人のようにも見える。アンドロメダはエチオピア王ケーペウスと王妃カシオペアの間に生まれた娘なので、黒人だという解釈も古くからある。陶器ならではのおおらかな絵である。
同 裏
表側の口作りは波打ったいわゆる〝なぶり縁〟だが、裏側もデコボコになっている。手で細工したのではなく、轆轤で成形した後に金属か木の型に入れて形を変えたのである。だからそれなりの数が作られた量産品だとわかる。いわゆる高台は、皿の部分を作って後からくっつけてある。
この裏側のデコボコは、アンカサスという植物の葉の模様が簡略化されたものである。アンカサスをかたどった模様はギリシャ発祥だ。室内装飾にたくさん遺例がある。またギリシャ神殿では正面に縦に長い柱が何本も並んでいる。コリント式と呼ばれる。このコリント式柱の一番上にアンカサスの葉の形の彫り物が装飾として付けられることになった。ただギリシャ発祥なのに、なぜかギリシャでは、アンカサス模様のコリント式柱の遺例がない。イタリアのパンテオン神殿などが代表的である。ギリシャ建築で生まれた模様だが、柱の一番上にアンカサス模様をつけるのはイタリア人好みだったようだ。それが陶器にも応用されることになった。
この『色絵マジョリカアンドロメダ図』はコンポート(果物などを盛る台皿)としたが、図録によっては杯になっている。三十センチ近い口径の杯などあるのだろうかと思ったが、どうやらあるようなのだ。婚礼の際に大杯にワインを満たし、花婿と花嫁がいっしょに飲んで愛を誓うという風習がイタリアにはあったらしい。また婚礼の最後に今度は大杯の上に砂糖菓子を乗せ、花婿が出席者に配ったようなので、コンポートに近い使われ方もしたようだ。ハレの場の陶器ということになり、アンドロメダが描かれたのもそれが理由かもしれない。また石黒さんは貼札に「ファエンツァ」と書いているので、窯まではわからないがボローニャとフィレンツェの中間にある、アドリア海にほど近いファエンツァで焼かれた陶器である。
ファエンツァでは十五世紀から十七世紀にかけて陶器作りが全盛期を迎え、ヨーロッパ各地に輸出された。そのためファエンツァ産の陶器はファイアンス(faience)と呼ばれるようになり、ヨーロッパで陶器のことをファイアンスと総称するようになった。ただ現在ではイタリアで作られた古陶をマジョリカ焼と呼ぶことが多い。
マジョリカ焼と呼ばれる理由は二説ある。一つはイタリアとイベリア半島の間にあるスペイン領マヨルカ島が、スペイン陶器の輸出拠点になっていたからという説。もう一つはジブラルタル海峡に近いスペインのマラガが陶器の産地だったからという説である。いずれにせよ一四九二年にレコンキスタ(国土回復運動)が完遂するまで、山岳地帯を除くスペインの大半はイスラーム領だった。マラガで作られていた陶器も、マヨルカ島経由で輸出された陶器も、いわゆるイスラーム陶だったわけである。
このあたりが実はマジョリカ焼の一番面倒なところなのである。マジョリカ陶はイスラームが源流ということになるが、日本ではイスラーム時代のスペイン産陶器もイタリア産陶器も、そしてイタリアから陶工が移住して焼物を始めた初期オランダデルフト焼も、時には中東やエジプトで作られた似たような陶器もすべてマジョリカ焼として流通していることが多い。雰囲気が似ているので実際とてもわかりにくい。(後編に続く)
鶴山裕司
(図版撮影・タナカ ユキヒロ)
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