『アルチンボルド』展
於・国立西洋美術館
会期=2017/06/20~09/24
入館料=1600円(一般)
カタログ=2800円
「百メートル走が嫌いな人、アンチ・ボルト・・・アンチンボルド・・・アルチンボルド」と軽快なオヤジギャグを飛ばしながら国立西洋に『アルチンボルド』展を見に行ったのでした。ヨーロッパの、それも古い時代の作家の回顧展を日本で開催するのは難しい。今回はアルチンボルドの油彩や素描三十点を中心にした展覧会である。やっぱり代表作の油絵がまとめて来ていないと画家の名前を冠した展覧会は寂しい。しかしアルチンボルド作品を借り受けるのは相当に大変だったはずである。国立西洋さん、がんばりました。
ジュゼッペ・アルチンボルドは一五二六年(和暦では室町時代後期の大永六年)にイタリアのミラノで生まれた。父ビアージョも画家だった。ミラノで頭角を現し、一五六二年、三十六歳の時にオーストリア大公マクシミリアンの招きでハプスブルク家の宮廷画家としてウイーンに赴いた。翌六三年に、アルチンボルドといえばすぐに思い出す花や果物や野菜などで人物を表現した『四季』連作を描いている。アルチンボルドのいわゆる〝寄せ絵〟のアイディアは、ウイーン時代にすでに出来上がっていたのだろう。ただウイーン時代の仕事で残っているのは共同制作の宗教画が多く、創造過程を作品で辿ることはできない。
その後マクシミリアン大公は神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン二世となり、アルチンボルドは引き続き宮廷画家として寵愛された。マクシミリアンは一五七六年に没し、孫のルドルフが神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世として即位した。アルチンボルドの宮廷画家としての地位はルドルフ時代も安泰で、一五八〇年には王から貴族の称号を授与されている。一五八七年、六十一歳の時にプラハを去って故郷のミラノに戻ったが引き続きルドルフ王のために絵を描いている。一五九二年には王から宮廷画家としては最高位の宮中伯の称号を授与された。一五九三年に六十七歳でミラノで没した。
代表作を見ると変わり者のようだが、アルチンボルドは正統な宮廷画家である。権謀術策家だったわけではないが宮廷人に必要な用心深さを兼ね備えていた。『四季』『四大元素』をマクシミリアンに献上するときは、戯画と受け取られないように人文主義学者のジョバンニ・バッティスタ・フォンテオに絵の解題を含む賛辞を書いてもらっている。晩年にミラノに帰ってからは自らの画名と家名を高めるために、歴史家のパオロ・モリージャなどに功績を語って文章を書かせた。アルチンボルドの話から、モリージャはアルチンボルド家はミラノの名家アルチンボルディ家とつながりがあると書いたが、実際は町のしがない画家の家の出自だった。貴人の信頼を得ることにも自己喧伝にも長けた人だったわけだ。
『冬』
一五六三年 油彩/シナノキの板 縦六六・六×横五〇・五センチ ウィーン美術史美術館絵画館蔵
『春』
一五六三年 油彩/オークの板 縦六六×横五〇センチ マドリード、王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館蔵
マクシミリアンの招聘でウイーンに赴いた翌年に描かれた作品で、代表作『四季』のバリアントである。二作品ともモデルはマクシミリアン大公だ。『冬』の木人は藁のマントをまとっているが、マクシミリアンのイニシャルのMと金羊騎士団の象徴の火打ち金が浮き彫りになっている。古代ローマ人は一年は冬から始まると考えていた。そのため神聖ローマ帝国皇帝は冬にたとえられることになった。だから冬の次は満開の花々で表現される『春』の皇帝像になる。マクシミリアンが神聖ローマ帝国皇帝に即位するのは翌一五六四年で、それは既定路線だったにせよ、アルチンボルドは大公を皇帝として描くことでマクシミリアンの心をつかんだのである。
もちろん宮廷画家は彼一人ではない。宗教画や人物画を描く腕のいい画家がたくさんいた。マクシミリアンやルドルフ皇帝は特異な絵を描く画家としてアルチンボルドを寵愛し、アルチンボルドもまたそこに宮廷で生きる道を見出したのだろう。
当時は人物画を描く際は、人物の特徴を際立たせるために背景は描かないのが一般的だった。アルチンボルドの寄せ絵も背景は黒で塗りつぶされている。ただアルチンボルドの絵には不気味なグロテスクさが蠢いている。アルチンボルドの時代は近世のとば口で実証的理性時代の幕開けだった。が、彼の作品には魔術や錬金術に代表される暗黒の中世の気配がある。それが当時の実証科学と混交して特異な画風となっている。アルチンボルドのような奇妙な絵を描いた画家はほかにいない。その意味で彼は時代の寵児である。
『法律家』
一五六六年 油彩/カンヴァス 縦六四×横五一センチ ストックホルム国立美術館蔵
マクシミリアンが皇帝になってからの作品である。言うまでもなく神聖ローマ帝国はカトリックだが、十六世紀には宗教改革の嵐が吹き荒れていた。そのため『法律家』は当初ジャン・カルヴァンの戯画と考えられていた。しかし下部の本に〝ISERNIA〟と〝BARTHO〟の文字があり、いずれも中世の法学者の名前であることから、現在では法学者を揶揄した作品だと解釈されている。
具体的には神聖ローマ帝国の財務顧問だった、ヨハン・ウルリヒ・ツァジウスが標的だったようだ。ツァジウスは有能な行政官だったが、醜い相貌だったことが知られている。宮廷画家に行政顧問を揶揄する力はないから、有能だが煙たいツァジウスを貶めたいという皇帝の暗い欲望に応えてアルチンボルドはこの絵を描いたようだ。
展覧会でも関連作品として展示されていたが、ヨーロッパにはグロテスク画の伝統が長くあった。ルネサンス初期にギリシャやローマ遺跡の発掘が盛んになり、キリスト教以前の東方文化の影響を受けた奇妙な絵や入り組んだ模様がグロテスク文と総称されるようになった。ただそれらは想像上の動植物が描かれていることが多かった。
人文主義のルネサンス盛期になると、一種のカリカチュアとして醜い相貌の人が描かれるようになる。ダ・ビンチはそういったカリカチュアの素描を描いたが、意外なほど後世に大きな影響を与えた。アルチンボルド作品もダ・ビンチの系譜上にある。グロテスクでユーモアがあり、悪意をこめることもできる。ただアルチンボルド作品は動植物を使って人の顔をかたどる。『法律家』にしても、顔は羽をむしられた鳥の具象画で構成されている。
参考図版
(左)『トカゲ、カメレオン、サラマンダー』一五五三年 ウイーン、オーストリア国立図書館蔵
(右)『トナカイ』一五六三年 ドレスデン、国立素描版画館蔵
今回は来日していなかったが、オーストリアやドイツのドレスデンには、アルチンボルドが描いた博物学の図譜が残っている(『トカゲ、カメレオン、サラマンダー』のうちカメレオンは人物不詳の別人の作)。一五五三年にアルチンボルドは二十七歳で、まだミラノで仕事をしていた。ただ数少ない資料から、かなり早い時期からアルチンボルドが動植物の博物学図譜を手がけていたことがわかる。こういった自然科学への興味が彼独自の様々な動植物を組み合わせた寄せ絵になっていったのだろう。
アルチンボルドの時代、ヨーロッパ列強による大航海時代がすでに始まっていた。まだ中世的な精神風土が残る宮廷に、新たに世界各地の驚異が飛び込んできたのである。マクシミリアン二世も新たな驚異に魅せられた一人で、当時の君公の間で流行したいわゆる〝芸術と驚異の部屋(クンスト・ウント・ヴンダーカンマー)〟を持っていた。世界中から集めた動植物標本や化石、発掘美術品、化石、絵画などを雑多に集めて展示した部屋である。次のルドルフ二世になるが、シュタイアーマルクのマリアはルドルフ皇帝は「異常で奇跡的なものだけを鍾愛していた」と書き残している。アルチンボルドが寵愛された由縁である。
ただ当時の貴顕の興味は、単に珍奇な物を愛玩するだけに留まらなかった。皇帝が集めた品々を研究する学者たちがおり、植物園や動物園に集められた動植物を観察・研究する学者や画家たちがいた。それはヨーロッパで新たな植物を栽培し、動物を飼うための実利的学問だった。また写真がない当時、画家たちが描く写実的な図譜が、それに添えられた文章とともに情報を伝達する役割を担った。アルチンボルドはマクシミリアン二世から、植物園や動物園に出入りして写生する許可を得ていた。宮廷画家となってから、アルチンボルドはさらに珍奇な動植物を写実的に描くことができるようになったのである。
『水』
一五六六年 油彩/ハンノキの板 縦六六・五×横五〇・五センチ ウイーン美術史美術館絵画館蔵
一五六三年の『四季』の三年後に、アルチンボルドが描いた『四大元素』連作の中の一枚である。『大気』『水』『大地』『火』の四枚から構成されるが、『大気』は失われ、模写が残っているだけである。『四大元素』もまたマクシミリアン皇帝に捧げられた。頭の水しぶき、ウニのトゲなどは王冠を表しているとされる。この絵もまた皇帝がモデルであり、その威光を表象する絵画ということになる。しかしなんという奇妙な頌歌だろうか。
作品だけを見れば、『水』は誰が見てもグロテスクである。しかし『法律家』に感じ取れるような嘲笑の気配はない。奇妙な言い方になるが、真面目で峻厳なグロテスクさなのだ。そして皇帝はこのような絵を喜んだ。珍奇な表現を好んだからではない。アルチンボルド作品には、彼の時代にしか存在しなかった調和がある。アルチンボルド死後に無数に描かれた追随者たちの作品を見れば、彼の絵がいかに高い水準にあるのか一目でわかるだろう。
動物であれ植物、魚であれ、アルチンボルド作品では個々がすべて的確な写生に基づいている。その意味で学術的なのだ。彼の絵が与える奇妙な印象は、具体的動植物が人物の顔として構成されていることにあるが、その目的は皇帝の肖像である。それは皇帝にユーモアや諧謔を与えただろうが、それだけでは絶対権力者である皇帝を喜ばすには不十分である。『四季』という世界の永遠の循環的巡りであり、『四大元素』という世界を構成する原理的要素を現実に存在する動植物で、しかも皇帝の姿として構成することには、皇帝が世界の支配者であるという意図がある。
『庭師/野菜』
油彩/板 縦三八・五×横二四・二センチ クレモナ市立美術館蔵
『庭師/野菜』の制作年代は不明だが、アルチンボルドが宮廷を去り、ミラノに帰郷した一五八七年以降の晩年作と考えられている。ミラノ帰郷後も新たに即位したルドルフ二世のために絵を描いている。『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ二世』などが有名で、代表作の一つだ。ウェルトゥムヌスはローマ神話の神で、季節の変化を統御する果樹と果実の神である。野菜と果物でルドルフの上半身をかたどっているが、アルチンボルドはマクシミリアン皇帝に対してと同様に、ルドルフ二世を神として描いたわけである。
『庭師/野菜』はアルチンボルドの上下絵の代表作である。ボウルに山盛りに積まれた野菜が描かれているが、上下逆さまにするとブタに似た人物の顔が現れる。ユーモラスなだまし絵の一種だが、人物の鼻となるラディッシュは男根をかたどっていると言われる。ただ猥雑な戯画ではない。皇帝のために絵を描く宮廷画家のアルチンボルドは、庶民的な猥雑や哄笑と無縁である。逆さにすると男根に似た鼻を持つ顔が現れるのは、野菜の中に豊穣神が隠れているという意匠だろう。
アルチンボルド作品は、現実を正確に写生した動植物を巧みに組み合わせることで、現実を超えた高次観念を表現している。ローマ時代から続く皇帝の絶対権威に中世的な神秘主義が流れ込み、大航海時代がもたらした新奇に驚き果敢にそれを求め極めようとした実証主義が、奇妙なリアリズムを与えている。ただ神になぞらえられる皇帝の権威が、世界に存在するすべての動植物を統御するという思想は一貫している。その指向は、期せずしてと言うべきだろうが、グロテスクで暗い。しかし皇帝自らそれを喜び、愉楽とした時代があったのである。
鶴山裕司
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