ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル『バベルの塔』展 16世紀ネーデルランドの至宝-ボスを越えて-
於・東京都美術館
会期=2017/04/18~07/02
入館料=1500円(一般)
カタログ=2500円
ブリューゲルの『バベルの塔』が日本に来るんだって! そりゃ大変だ、絶対見に行かなくっちゃと思って東京都美術館に出かけた。近世以前の画家にはよくあることだが、ブリューゲル作品も研究成果によって増えたり減ったりしている。油絵は四十点くらいしか残っていないはずだ。レンブラントやゴッホを始め、オランダは数々の素晴らしい作品を生み出しているが、ブリューゲル作品は至宝である。中でも『バベルの塔』は傑作中の傑作なのだ。
同じことを考える人はたくさんいるとみえて、久しぶりに二十分ほど入場待ちをした。で、待っている間、館内に張られたポスターを漫然と眺めていたのだが、次第に「ん?」という感じになってきた。ちゃんと読むと、今回の展覧会のタイトルは「ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル『バベルの塔』展 16世紀ネーデルランドの至宝-ボスを越えて-」という長ったらしいものである。なんにも考えずに見に来たのだが、ヤな感じがする。なんか混ぜ物の多い展覧会の予感がしてきたのである。
入場が近づくとますますその予感が強くなってきた。『童夢』や『AKIRA』などで有名な漫画家・大友克洋さんが想像で描いた、『バベルの塔』の内部が大きなパネルで展示されているのだ。大友さんのマンガは好きだが、ちょっと違うんじゃないかなぁと思う。雪舟など作品数の少ない画家はたくさんいる。だから美術展を開く時は、どうしても○○以前、○○以後という構成にならざるを得ない。だけど○○展と画家の名前を入れる以上、可能な限り作品を集めなければ回顧的展覧会にはならない。
結論を言うと、エントランスで感じた不安は的中した。なんとブリューゲルの油絵作品は『バベルの塔』一点のみ。ブリューゲル・子の作品もない。これにはさすがに「そりゃないよ~」と思ってしまった。ただ急いで付け加えておけば、展覧会の内容自体はいいものだった。ただなかなか適切なタイトルが思いつかない展覧会ではあった。
今回の展覧会の内容を正確に言うと、〝オランダ・ボイマンス美術館の豊富な所蔵品によって、近世以降のオランダ絵画の基礎となった十六世紀ボス・ブリューゲル作品に至るまでの、ネーデルランド美術の流れをおおまかに辿る展覧会〟になると思う。これをザックリ略すと『ブリューゲル展』になる。ほかにキャッチーなタイトルを付けようがないだろ、と言われればそれまでだが、ブリューゲルをたくさん見られると期待した人たちは肩すかしを食ったはずである。僕もまあその一人である。
ベルナルト・ファン・オルレイ『磔刑のキリストと聖母、聖ヨハネ』
一五二五年頃 油彩、板 一四〇×九〇・五センチ ボイマンス美術館蔵(以下同)
ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン『聖母子と奏楽天使たち』
一五一〇~二〇年 油彩、板 六六×五七・四センチ
ほかのヨーロッパ諸国と同様に、ネーデルランドでも絵画や彫刻を牽引したのはキリスト教美術である。オルレイの『磔刑のキリストと聖母、聖ヨハネ』は元々は三連祭壇画だったのが、中央の磔刑図だけが残された。オーストザーネンの『聖母子と奏楽天使たち』も三連祭壇画の中央パネルである。
十六世紀初頭と古い時代に作られたから、部分的にしか残っていないわけではない。よく知られているように、ネーデルランド独立の契機になったのは一五六八年のオランダ独立戦争である。スペインはイベリア半島からムスリム勢力を一掃し(レコンキスタ)、フェリペⅡ世の治世時代に黄金期を迎えた。無敵艦隊の異名を持つスペイン海軍は真っ先に大航海時代に乗り出し、フィリピンや南北アメリカを植民地化した。フィリピンの名はフェリペ皇太子の領土という意味である。スペインの国威はヨーロッパにも及び、一五五五年にネーデルランド一帯がスペイン・ハプスブルク家の領土となった。
ただネーデルランドには、マルティン・ルターの教えに共鳴するプロテスタントが数多く居住していた。敬虔なカトリックで全植民地でカトリックの教えを広めることを国是としていたフェリペⅡ世は、ネーデルランドのカトリック化を推し進めようとした。それがプロテスタント有力者の反発を呼び、一五六六年に聖像破壊運動が始まった。プロテスタントは聖像などの崇拝を重視しなかったのである。多くのネーデルランド・キリスト教美術が残闕となってしまったのは、この聖像破壊運動のゆえである。
聖像破壊運動に続き、一五六八年にはオランダ独立戦争が勃発したわけだ。この戦いは一六四八年のヴェストーファーレン条約でスペインからの独立が保証されるまで、実に八十年以上も続いた。ただこの八十年戦争の間が最もオランダが栄えた時期である。今のインドネシア一帯を植民地化し、南アメリカにも植民地を持つようになった。オランダはレコンキスタと大航海時代で潤った宗主国・スペインに悩まされたが、宗主国と同じ国策を取っていち早く植民地獲得に乗り出したのだった。ヨーロッパの国で決して野球が盛んではないのに、アメリカや日本にたくさんの野球選手を輩出しているのは、オランダがいまだにカリブ海にオランダ自治領を持っているためである。
またこれも周知の通りだが、戦国末期にオランダ船が日本に来航し、徳川幕府と独占貿易することに成功した。プロテスタントなので徳川幕府が嫌うイコンなどを持ち込む可能性が低かったこと、カトリックほど布教に熱心ではないことが独占貿易を可能にした要因である。ただ実際にはオランダ独立戦争は民族独立戦争的なものであり、ネーデルランドにはプロテスタントもカトリックも居住していた。今のオランダもプロテスタント国ではない。
ヨアヒム・パティニール『牧草を食べるロバのいる風景』
一五二〇年頃 油彩、板 二七×二三センチ
パティニールの『牧草を食べるロバのいる風景』もまた、元は聖母と幼子キリストの『エジプト逃避途上の休憩』を描いた大きな絵である。聖像破壊運動の際に寸断されてしまったようだ。ただパティニールは風景画を描いた最初期の画家として知られる。もちろんそれまでの絵にも風景は描かれていたが、宗教画なのにどう見ても風景が主体の絵は、十五世紀の末くらいからオランダで盛んになった。
オランダで風景画が盛んになった理由は諸説ある。十六世紀頃までの宗教画を見れば明らかなように、ルネサンスの中心だったイタリアやその影響をいち早く受けたフランス絵画と比べれば、申し訳ないがオランダ絵画はちょっと野暮ったい。模倣の域を出ていないようなところがある。はっきり言えば、十六世紀初頭頃のオランダは文化的鄙だった。
ただ半世紀ほど早く始まったルネサンス中心の新たな美術運動は、すぐにオランダ(というよりネーデルランド地方)にも伝わり、画家たちはイタリアに旅行して新たな美術を学ぼうとした。それがオランダで風景画が盛んになった大きな要因の一つである。写真がなかった当時、見たことのない風物の姿を伝えるメディアは絵画だった。初めて見る風景に感動した画家たちが、自ずから風景中心の宗教画を手がけるようになったようだ。しかしそれだけがオランダでの風景画成立の理由ではない。
ヒエロニムス・ボス『聖クリストフォロス』
一五〇〇年頃 油彩、板 一一三×七一・五センチ
同 部分
ヒエロニムス・ボスは一四五〇年頃に生まれ、一五一六年に没した画家である。本名はファン・アーケンだが、スヘルトーヘンボスの町に住んでいたのでボスと称した。オランダだけでなく国外にも多くの顧客を持っていたので、自分の居場所がわかるように〝ボスの町にいるヒエロニムス〟という通り名にしたようだ。工房を構えて絵を量産した当時の流行画家でもあった。ただボスの真作は、現在の研究では油彩画二十五点と素描十点しか確認されていない。ボスもまた宗教画家であり、作品の多くが聖像破壊運動の際に失われてしまった。
聖クリストフォロスは三世紀頃のローマの殉教者で聖人である。大男で怪力の持ち主だったが、キリスト教改宗後に人々に奉仕することを思い立ち、無償で川渡しの人足を始めた。ある日少年を背負って川を渡り始めたのだが異様に重い。少年は幼子キリストだった。川を渡り終えたキリストはクリストフォロスを祝福した。またクリストフォロスが杖を地面に刺すとみるみる巨木になった。その奇跡を見た多くの人々がキリスト教に改宗した。ボスの『聖クリストフォロス』は幼子キリストを背負って川を渡るところを描いている。
パッとみると普通の宗教画なのだが、ボスは絵の背景に細々とした奇妙な人や物を描いている。木の枝に引っかけられた壺の中には火が見え、人が住んでいる。壺の口から小人が顔を出し、木の枝にランタンをひっかけている。干されているシャツも見える。このほかにも川の対岸に奇妙な人や動物が描かれている。
なぜボスがこういった奇妙な人や物を描き込んだのかはわからない。ほとんど人生の詳細が伝わっていないのだ。恐らく敬虔なキリスト教徒で、黙示録的な幻視者資質を持っていたのだろう、というくらいしか言えない。ただその表現方法はボス独自のものだった。またもっと重要なのはボスの死後半世紀ほど経ってから、ボス本来の仕事である宗教画ではなく、彼が宗教画の背景や素描などで描いた奇妙な人や物がネーデルランドで大流行したことである。
ヒエロニムス・ボス原画 彫版師不詳『樹木人間』
一五九〇~一六一〇年頃 エッチング 二一センチ(直径)
エッチング版『樹木人間』はボスの死後に彼の原画を元に作られた。右手の木のそばに立つ見物人たちは原画にはないが、そのほかはほぼ原画通りである。樹木人間は卵形の木の洞のような胴体を持っており、その中で五人の人物が飲食しているのが見える。頭には壺を乗せて、壺の口から梯子が伸びている。天に届いていないのでヤコブの梯子ではない。また樹木人間の足は船になっていて、水上を移動できるようだ。
絵が示唆している意味は正確にはわからない。ただこういったボスの奇妙な絵がネーデルランドで大流行し、やがてボスのオリジナルを離れてボス風の版画が作られるようになっていった。ブリューゲルはそういったボス版画全盛期に登場してきた画家である。(後編に続く)
鶴山裕司
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