エチオピアの位置(Google Map)
僕の骨董好きは出たとこ勝負である。もちろん骨董はデータベースだから、比較的知識のある東アジア圏の文書や絵画、焼物、木製品などは、魅力があって値段が折り合えば買う。ただなんだかよくわからないけど、面白いと思った物で手が届く値段ならやっぱり買う。「よくわかんないなー」と思っていても、そこは情報化社会である。いろんな本や図録を漫然と眺めていると、いつ、どこで、何の目的で作られたのかわかってくることがある。
前回書いたナイジェリア・ヨルバ族のオポン・イファ(占い用のお盆)もそんなふうに買った。今回紹介するエチオピア正教のイコンもそうである。骨董屋さんは「よくわからない物ですが、鶴山さんはお好きかと思って」と言って見せてくれた。辺境のキリスト教圏で作られた物だということはすぐわかった。そのお店ではフィリピンのサントを何点か買っていた。最初はフィリピン製という以外何も手がかりがなかった。
ミンダナオ島を中心にイスラム教徒も住んでいるが、フィリピン人の大半は敬虔なカトリックである。一五二一年にマゼランがセブ島に到達してから半世紀ほどでスペインの植民地になった。スペイン植民地政府が住人に改宗を迫って、ほぼ全土がカトリック化されたのだ。それ以降、フィリピン人の職人がサントと呼ばれる木製の聖人像や板絵のイコンを盛んに作るようになった。
大雑把な民族という先入観とは裏腹に、フィリピン人の職人が作ったサントは非常に精巧である。当初は現地のスペイン人などのために制作していたのだろうが、やがてヨーロッパ本国や、同じくスペインによって植民地化された南米にも盛んに輸出されるようになった。戦国から江戸初期の日本にももたらされている。現在は東京国立博物館所蔵だが、江戸長崎奉行所押収の切支丹遺物の中にも混じっている。十六世紀末から十七世紀初頭のサントは貴重で、正倉院御物と同様に、文化のどん詰まりの日本ならではである。また江戸時代の南蛮屏風にはイエズス会やドミニコ会宣教師の姿がある。その多くがフィリピン経由で日本を訪れたはずである。
こういうことは、物を買って漫然と調べるうちにじょじょにわかった。現代とは比べものにならないが、古い時代でも世界は繋がっていて影響を与え合っているのだ。もちろん多くの骨董好きが、まだ見たことのない古い物を見たい、場合によっては所有したいという気持ちを持っている。ただよくわからない物を買うのと珍品の唐津焼が欲しいのとはやはり違う。よくわからない物を買うのはある種のエグゾティズムである。異国趣味と訳されることもあるが、自分なりの〝辺境〟の探求だと言ったほうがしっくりくる。
二十世紀半ばくらいまでの概念で言うと、エグゾティズムは先進ヨーロッパ列強による未知の文化の探査である。世界で初めて動物園と植物園を作ったのはイギリス東インド会社だが、それが大英博物館のコレクションになっていったのは言うまでもない。珍しい文物の蒐集は国家の力の顕示であり、様々なアイディアを生み出すための実利的な学問基礎でもあった。上澄みをすくうと異国趣味ファッションの流行などになる。ただそれも悪くない。たいていの文化人が、最初はそういった異国趣味から辺境に興味を持っている。
エグゾティズムと言って、詩人がすぐに思い浮かべるのがヴィクトル・セガレンである。二十世紀初頭の詩人で小説家だ。フランス海軍の軍医だったがゴーギャンの『ノアノア』を読んでポリネシア行きを志願した。ゴーギャンはすでに没していたが現地の売り立てで絵を買ったりしている。その後セガレンは中国行きを命じられ、北京で詩集『碑(Stèles)』を自費出版した。『〈エグゾティスム〉に関する試論』という評論も残している。
タヒチ体験にもとづいた『記憶なき人々』といった初期小説は、あまり深みのない異国趣味的エグゾティズムである。しかし中国を題材にした詩集『碑(Stèles)』や小説『ルネ・レイス』、『天子』は異なる。セガレンはほぼ完璧に中国文化の本質を捉えている。彼は中国がただ一人の天子(為政者)によって広大な国土が治められる国であり、それを是とする文化共同体だと理解していた。またその原理が、究極を言えば漢字一文字で表象されると直観した。それは「天」かもしれないし、隠された神聖表意文字かもしれない。いずれにせよ現代に至るまで、セガレンほど優れた直観で中国文化の本質を表現したヨーロッパの作家はいない。
神が世界創造主でそれゆえ神学が現世の思想軸でもあるキリスト教徒にとって、存在の輪郭すら持たず、その神性が表意文字や図像としておぼろに表象される東アジア世界は、異端であり文化果てる辺境の地だろう。ただヨーロッパは現代のポストモダン社会に至って、思想的にはほぼ完全な神の解体に至っている。もっと正確に言えば、キリスト教的思想フレームはそのままに、そこに東洋思想を取り入れて世界認識の再構築を図っている。セガレンと同様に、東洋的辺境が自らの中にも存在することに気づいたのである。
この構造は、西から見たかつての辺境である東方世界でも生じている。東方の人は中心のない混沌とした世界が、なぜ秩序を保っているのか直観的に理解している。しかしそれを今や世界標準となった西側の論理で説明するには構築的な思想フレームが必要だ。西側の擦り寄りとも言えるポストモダン思想に狂喜していたのでは東方思想の本質は明らかにできない。西側キリスト教世界――もっと言えばユダヤ教やイスラーム教を含むセム一神教世界に、自らの中にも存在する辺境を見出さなければならないのである。
エチオピア正教イコン 表(著者蔵)
エチオピア 20世紀初頭か 石に彫刻 縦15.6×横9.7×厚0.7センチ(いずれも最大値)
同 裏
同 側面
いきなり俗な話になって恐縮だが、ヨルバ族のオポン・イファでも書いたようにアフリカはスーブニール大陸である。人類発祥の地でまだ原始の生活が残っている(ように感じられる)アフリカを訪れた観光客がお土産物を買い求めるのだ。そこで現地の人が仮面やトーテムなどの古い様式のお土産物をせっせと作っている。
骨董好きとしては御法度なのだが、このエチオピア正教のイコン、制作年代がよくわからない。国内でも国外でも図録が少ないが、同手の物はたいてい二十世紀初頭作と記載されている。近代になってこういった様式のイコンが作られ始めたのか、古い物が残っていないだけなのかは不明である。ただ骨董好きの勘で言えば、新しくても十九世紀の末くらいはある。また側面や底まで手を抜かずに細かい模様を入れているので、お土産ではなくエチオピア正教の宗教遺物だと思う。
表側の扉を開くと、左から聖ゲオルギオス、キリスト、砂漠の聖ゲブラ・マンダス・ケッドゥス、両手に剣を持った守護天使が彫られている。聖ゲオルギオスは古代ローマ末期、四世紀初頭の聖人で殉教者である。白馬に乗って竜を退治したと伝えられる。そのため兵士などの守護聖人とされる。イスラームの侵攻に悩まされたエチオピアでは、聖ゲオルギオスが国家的な守護聖人として崇敬されている。聖ゲブラ・マンダス・ケッドゥスは砂漠で孤独な修行に励んだ人で、禁欲・節制の象徴である。守護天使は両手に持った剣で悪魔や邪霊を払ってくれる。
裏側は扉を開くと、左から大天使ミカエル、聖母子像、聖クリスティーナ、天使ガブリエルが彫られている。大天使ミカエルはキリスト教で最も位の高い天使である。聖クリスティーナは三世紀末の聖人で殉教者。棄教させるために毒蛇を投げつけられたが、神の力で簡単に手なづけてしまった。彼女は父親によって殺され湖に沈められた。しかしキリストが現れて洗礼を施し、大天使ミカエルが陸に導いたと伝えられる。天使ガブリエルが処女マリアに受胎告知したのは言うまでもない。表は男性聖人、裏は女性聖人中心のイコンのようだ。(中編に続く)
鶴山裕司
(図版撮影・タナカ ユキヒロ)
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