鶴山裕司さんの写真批評『No.014 『荒木経惟 写狂老人A』展――真理は人を自由にする(後編)』をアップしましたぁ。どんな表現ジャンルであろうと、真理を、原点を把握するのはとても大事だと思います。文学者で賞などもらってちょっと世の中に名前が出ると、一応はプロということになります。しかし人生の終わりまでプロで居続けられる作家は意外なほど少ない。はっきり言うと、ある時点で素人か、素人以下の弛緩した表現者になってしまう作家も多い。あるジャンルの本質を把握していないから、表現の方向を見失ってしまうのです。
巨匠の評価が定着したので荒木さんには真面目で四角張った賛辞が寄せられるようになったが、ご本人は相変わらず写真的猥雑を生きている。写真は隠された何かを白日の下に暴く表現だが、暴いてみればそれは一瞬で日常化する。雑誌「写真時代」のスター・エロカメラマンだった時代、当時は陰毛を写すのがタブーだったから、荒木さんは女性の陰毛を剃って恥丘を撮影した。それに飽きるとツルツルの恥丘にマジックで陰毛を描いて撮影して、編集長の末井昭さんといっしょに警察に呼び出されて怒られていた。警察はコケにされるのを何より嫌うのだ。家宅捜索や罰金刑も受けている。そのあたりのことはあまり語りたがらないが、荒木さんや末井さんは警察と相当激しくやり合ったはずだ。でなければ写真時代はあんなに長く続かなかっただろう。杓子定規に言えば彼らは反権力である。ただ政治的意図はぜんぜんない。スリッパで権力のうしろ頭を叩くような反権力である。
鶴山裕司
鶴山さんが書いておられるように、荒木さんは相当な硬派です。世の中の機微を知り尽くした反権力的表現者でもある。そういった表現者は強いですね。写真時代の編集長だった末井昭さんは、『三流四流は一流に化けることがあるが、二流は絶対にいつまでたっても二流だ』という名言(?)を吐いたことがあります。でもホントかもしれない。荒木さんは今では写真界の巨匠です。でも少なくても1980年代の中頃までは、得体の知れないエロカメラマンとみなされていたのです。
■ 鶴山裕司 写真批評『No.014 『荒木経惟 写狂老人A』展――真理は人を自由にする(後編)』 ■
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