鶴山裕司さんの演劇金魚『No.013 新宿梁山泊版『腰巻おぼろ 妖鯨篇』(中編)』をアップしましたぁ。石川は『腰巻おぼろ』の舞台を見ていないのですが、鶴山さんが書いておられるように唐十郎戯曲は『恐ろしく複雑で驚くほど単純』だなぁ。ただ唐さんの戯曲になれていないとジェットコースターに乗ってるやうなもので、面白いんだけど、何がなんだかわからないうちに終わってしまふかもしれません(爆)。でもだからこそ唐戯曲に関しては劇評が重要になるでしょうね。
様々な関係性が意識と無意識の間を往還しながら、唐突に交差して結び目を作るのが唐戯曲である。ある関係性は戯曲全体を通じて最後まで残り、ある関係性は意識化されたのちに唐自身によって忘れ去られ、二度と意識化――つまり舞台上で表現されることがない。しかしそれは小説はもちろん、演劇にとってもかつて表現されたことのない、わたしたちの人間意識のリアルな表現である。
鶴山裕司
こういう箇所を読むと、唐戯曲の魅力はもちろん、鶴山さんが唐さんの戯曲から何を学び、盗み取ろうとしているのかわかりますね(爆)。高度情報化社会といふか、ネット時代になって、小説を含めた物語芸術は飽和に近づいているようなところがあります。文芸のジャンルでも昔のような秘儀はなくなっている。秘儀に見えたものは過去コンテンツの優れた再解釈であることが明らかになり、様々な文章技術が誰でも目にして学べるようになっています。それを反映して従来的な小説の書き方は高度に完成され始めている。しかし読者もまた小説家と同じ情報を共有しているのであり、いつまでもテクニカルな目くらましが通用するとは思えません。
じゃあ何をもって新たな文学の基盤にするのか。このアポリアは作家のヴィジョンによって異なります。ヴィジョンとは論理を超えた一種の真理の直接把握です。ただこのビジョンの把握、つまり直感が間違っていればすべての努力はムダになる。石川は鶴山さんが注目しておられるヴィジョンは多分正しいと思いますよ。
■ 鶴山裕司 演劇金魚 『No.013 新宿梁山泊版『腰巻おぼろ 妖鯨篇』(中編)』 ■
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