伊集院静「ノボさん――正岡子規の夢」が連載中である。「坂の上の雲」といい、明治期への振り返りが人気だ。
正岡子規については、もちろん俳句革新で知られているはずだが、一般には「べーすぼーる」の日本での普及者としての方が馴染みやすいようだ。「野球」=「ノ・ボール」の訳語をあてたのが子規だというのは有名である。
小説では子規、碧梧桐、虚子や漱石といった人物が登場し、その人間模様が掘り下げられてゆく。思うにまかせぬ弟子たちの指導に、「子を思う親」のように歯噛みする子規の姿には温かみがある。手紙が残っているので想像だけのフィクションではなく、史的な考察にもなっている。
絶交しようとまでは思わないが、今後はただの友人として深くは立ち入るまい、と手紙で述べている子規は、その決意とは裏腹に、断念しきれない思いが覗くようでもある。どこかで漱石が、「(小説の) 登場人物たちに対しては、親が子に向かうように、さほど深くは同情心を持たない」といったようなことを述べていたのと対象的だ。
ごく若くして亡くなった子規は実際に人の親となることはなかったから、子規の温かさは「親らしい気持ち」ではなくて、若さからくる情熱だったかもしれない。しかし漱石の方が人間関係に対しては屈折した、それゆえに客観的な態度でのぞんでいたことは確かだろう。
作品ではこれらの人々が、エピソードと会話を交えて、生きいきした日常を送っている。たとえば漱石の見合い話で、写真の縁談だと自ら笑う漱石が、実物が写真と違ったら破談だと息巻く。実際の女性、のちの鏡子夫人は写真と寸分違わず、むしろ漱石の方が鼻のところを少し修正していたとのこと。人となりを彷彿とさせるではないか。
しかしながら、このような生きいきとしたリアリティ、日常的な会話に、どことなく居心地の悪さを感じると言ったら、難癖にもほどがあるだろうか。「事実らしさ」が真実や本質を覆い隠す瞬間もあるのではないか、などと思うのは、彼らが他でもない「文学者」だからだ。
文学者の未亡人の話などを聞いていると思うのだが、日常生活を共にし、細々したエピソードを知っているからと言って、その家族がその文学者の本質を捉えているとはかぎらない。いや、むしろ誰よりもわかっていないケースも多い。創作者同士、文学者同士ででもないかぎり、身近にいたことが深い理解に繋がるとは言えない。
伊集院静の「ノボさん」では、その彼が東京で柿をたくさんもらい、食ってうまかった、などと生きいきと語る。そこからあの「鐘が鳴るなり法隆寺」が生まれた、などということになるのでは、やはり落胆せざるを得ない。
文学者にとっての言葉は、生きいきとした日常会話以上のもののはずだ。少なくとも画家にとっての絵具と同程度の執着、こだわり、業を感じさせるものでないかぎり、やはり一見「事実らしい」フィクションでしかなくなる。
谷輪洋一
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