鶴山裕司さんの『BOOKレビュー・詩書』『No.027 ねじの回転あるいは前衛俳句の到達点――安井浩司新句集『烏律律』(中編)』をアップしましたぁ。鶴山さんの今回の評論は30枚ほどですが、安井文学だけでなく俳句文学の本質に迫る内容になっています。
安井さんは処女句集『青年経』の冒頭に「渚で鳴る巻貝有機質は死して」を置いた。俳句文学において〝形式〟は絶対だということだ。中身(有機質)はなくても、俳句形式に風(言葉)を吹き込めばそれは鳴る(俳句ができあがる)。そしてこの俳句形式は調和的完結世界として、ぼんやりと、だが確実にその外形を認識できるが、実際の姿は可変的である。五七五に季語定型がすべてではない。山頭火や放哉のような無季無韻でも、重信の新たな俳句形式によっても俳句は簡単に成立する。俳句形式は俳人個々の様々な試みをあっさり飲み込んで俳句を成立させてしまう。俳句文学では俳句形式が常にその表現主体なのである。
(鶴山裕司)
俳句文学においてはずっと俳句形式がその〝主体〟でした。今も基本的にはそうです。しかし新興俳句から赤黄男・重信の前衛文学(自我意識俳句の系譜)の作家たちはそれを変えようとした。作家が〝主〟で俳句形式が〝従〟の俳句作品を目指したわけです。特に重信の試みは苛烈でした。彼は真正面から俳句形式に戦いを挑んだ。『重信は強い作家の自我意識を〝主〟と措定し、それによって俳句を〝従〟としてねじ伏せようとした』(鶴山)わけです。
この自我意識俳句作家たちの夢は、加藤郁也の試みを経て、安井浩司によってまがりなりにも達成されているというのが鶴山さんの評論の論旨です。鶴山さんは『俳句形式を解体・崩壊に追い込むことなく、あくまで作家が主体の俳句文学を成立させることが安井さんのアポリアである』と書いておられます。じっくりお楽しみください。
■ 鶴山裕司『BOOKレビュー・詩書』『No.027 ねじの回転あるいは前衛俳句の到達点――安井浩司新句集『烏律律』(中編)』■。
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