鶴山裕司さんの『BOOKレビュー・詩書』『No.027 ねじの回転あるいは前衛俳句の到達点――安井浩司新句集『烏律律』(上編)』をアップしましたぁ。今日から3回連続で、鶴山裕司さんによる安井浩司さんの新句集(第17句集)『烏律律』(うりつりつ)の書評を掲載します。書評というより鶴山さんの安井浩司論集大成のような作家論です。
安井さんについて改めてご紹介しておくと、昭和11年(1936年)秋田生まれで、学生時代から青年時代にかけて東京で過ごされましたが、現在は秋田在住です。永田耕衣の弟子ですが高柳重信の「俳句評論」同人でもあり、強い影響を受けていますので、俳壇の慣習に倣えば〝師系・永田耕衣-高柳重信〟ということになります。金魚屋では2012年に『安井浩司「俳句と書」展』を開催し、公式図録兼書籍『安井浩司「俳句と書」展』を刊行しました。
これも図式的に言えば、安井さんは前衛俳人の一人ということになります。しかしその作風は種田山頭火や尾崎放哉のような無季無韻(575定型や季語を無視する俳句)や、高柳重信系前衛俳句の代名詞である多行俳句(俳句を3あるいは4行で行分けする)とも異なります。俳句文学の伝統にのっとった安井さん独自の根源的かつ前衛的な作品です。
天上の村より落ちくる白鼠
ふるさとの草屋根天馬のひづめ跡
野狐が天理の教えに舞い居たり
浜荻や天語(あまこと)歌の聴こえつつ
高窓に天女の足裏見えはじむ
(安井浩司『烏律律』)
心理学では人間の意識を「表層意識」と「深層意識」に分類する。そしてわたしたちは深層意識にほとんど無限の存在元型イメージ(非即物的元型イメージ)を抱えている。(中略)安井さんが俳句で、現実事物だけでなく非即物的元型イメージをも自在に取り合わせていることは、彼が人間精神を表層意識と深層意識の綜合として捉えていることを示している。(中略)安井俳句が重要なのは、俳句表現の裾野を無限と呼べるほど拡げることができる可能性を持っているからである。深層意識をも含む言葉(現実事物/非即物的元型イメージ)の取り合わせによって、俳句でより詳細で自由な人間精神を表現することができる。俳句はずっと下世話な現実事物の取り合わせで至高観念を表現しようとしてきたが、安井俳句では逆に、抽象的至高観念イメージが卑俗な事物に宿ることを露わにすることができる。
(鶴山裕司)
俳句はその発生以来、作品でずっと現実事物を取り合わせてきました。たとえば芭蕉は「古池」と「蛙」という俗な現実事物を取り合わせて高い観念(しばしば「幽玄」や「悟り」が表現されていると解釈されます)を表現しました。安井さんはこの俳句の要である言葉の取り合わせを、現実事物だけでなく、存在元型イメージ(非即物的元型イメージ)にまで拡げたわけです。
鶴山さんの安井浩司論中編では、安井俳句が〝俳句文学史〟に沿った王道的試みであることが解き明かされます。安井俳句は高屋窓秋、平林静塔、西東三鬼、渡辺白泉らの新興俳句から、富沢赤黄男・高柳重信らの前衛俳句が追い求めた、〝俳人主体になる〟俳句作品の実現だからです。
■ 鶴山裕司 『BOOKレビュー・詩書』『No.027 ねじの回転あるいは前衛俳句の到達点――安井浩司新句集『烏律律』(上編)』 ■
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