岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『No.067 角川俳句 2016年12月号』をアップしましたぁ。ちょいと手厳しい時評になっていますね。岡野さんは『どんなメディアも一長一短があり、理想とするメディア像は作家や読者ごとにまちまちである。ただある作家や作風(いわゆる俳風)が好きなら、結社誌に所属してそればかり読めばいいわけだ。だから商業句誌は結社や同人誌それぞれが主張する俳風の違いを超えてフラットに俳壇を見渡し、理想の俳句像を作家や読者に提示する必要があると思う。(中略)KADOKAWA俳句は〝どこに向かって導いてゆくのか〟、その方向性が見えない』と批評しておられます。
岡野さんはまた、『雑誌は編集部の意図通りには絶対に回らない。(中略)そのため実績としても知見としても、信頼の置ける作家を選択し、そこはかとないヒエラルキーを作って全体を統御してゆくしかない。短歌・俳句の世界の場合、結社的党派意欲が薄く、歌壇・俳壇に寄与し得る公的な姿勢を持った作家を選ばなければならない。はっきりメインとわかる作家を置くといろいろ問題が起こるだろうが、それでも歌壇・俳壇作家の多くが「この人なら」と目する作家を重用しなければ、中心がなくなってしまう』とも批評しておられます。
石川も岡野さんに同感です。もちろん雑誌は〝雑〟ですから、どんな作家が書いていてもいいし、どんな作品が載っていてもいい。だけど雑誌は生き物でもあります。その時代時代で中心を作っていかなければならない。それは編集部主導ではできません。作家が真ん中に立たなければならないわけで、そこはかとない形であれ、雑誌には中心作家が必要となります。
もちろんそのバランスは微妙です。ただメディアが力を持つということは、各時代にセンターとなるような作家を次々に輩出してゆくことでしか実現できないのです。文学メディアの影響力は作家がメインになって作り上げられてゆくものですが、編集部がどの作家を選ぶのかでその社会的評価が出る。みんな平等なんて、実社会はもちろん文学の世界でもあり得ない。文学者は誰もが作品の実力通りに評価されたいと望んでいるわけですから、本質的に実利的しがらみが少ない分だけ、文学の世界の方が実力の評価は厳しいはずなのです。
■ 岡野隆 『詩誌時評・句誌』『No.067 角川俳句 2016年12月号』 ■
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