十一月号は第96回オール讀物新人賞発表号ですわ。オール様に限りませんけど新人賞の発表号っていいわぁ。やっぱニューフェースのスターを期待しちゃうのよ。古い話で恐縮ですが、昔ロックバンドのオーディション番組でイカ天ってのがあったのね。アテクシ、毎週楽しみに見てたのよ。ちょっとヤラセっぽかったけど、ブランキーとかがデビューした番組よ。なんで楽しみにしてたかっていうと、まだ世の中に知られていない天才が突然現れるんじゃないかって思ってたのよね。結果として言えばそれは幻想ね。そうそう無名の天才なんて世の中に眠ってないわよ。だけどやっぱり期待しちゃうのよねぇ。
彼は、みかんを一つくれたのだった。発車から今まで何も食べていない章子が、お腹を空かせているのではと思ったらしい。色と香りにつられて迷いつつも受け取ると、彼は恥ずかしそうに会釈して、自分のを食べ始めた。
がらがらの車内で見ず知らず同士の二人が片寄せあってみかんを食べている図は、なんだかおかしかった。この人はどこかずれていると思いつつ、不快ではないずれかたに興味もわいた。(中略)
「空いている席に移ってくれたらいいのにって仙台を出たときからずっと思っていました」
打ち明けると、
「あれ、ほとんど僕たちしかいないじゃないですか」
彼は腰を浮かせて周囲を見渡し、驚いたような声を出した。
(佐々木愛「ひどい句点」)
佐々木愛先生は昭和六十一年生まれとありますから、まだ三十一歳でございます。やっぱり若いっていいわねぇ、って、オバサン丸出しの感想を持っちゃいましたことよ。もちろん「ひどい句点」という受賞作を読んだ上での感想ですわ。このお作品、かなり推敲されています。密度が高いの。力作と言っていいと思いますが、フレッシュな作家様の場合、力作にはいろんなニュアンスがありますわ。力が入り過ぎて、ちょっと不適切な言い方かもしれませんが、淫靡になっているようなところもござーます。
物語は仙台の実家から東京に帰る女子大生の章子が、新幹線の中で小玉という新聞社に勤めている記者と知り合うところから始まります。小玉はパソコンで作業するのに夢中で、車内がガラガラになっているのに章子のそばに座り続けたのです。で、みかんを一つくれた。それをきっかけに章子は小玉と言葉を交わし、ほのかに好感を持つようになります。小玉は婚約者が仙台に住んでいて、出張がてら会いに行っているのだとも言います。まあはっきり言えば、遊び慣れた男のスマートなナンパですね。さすが多くの人と接する新聞記者さんです。物語は当然、章子と小玉の不倫へと進みます。
指輪って、外すと全然意味がないんだ。ただの、小さな小さな句点。
「何を見ているの」
小玉さんが動きの急に止まった章子に手を添えながら聞いたので、「まるを見てる」と答えた。思わず悲しそうな声が出て、泣きそうになった。自分が何を悲しいと思っているのか、整理して考えたかったけれど、小玉さんはそうさせなかった。彼は首を横にひねって、目を細めてサイドテーブルのほうを見た。
「まるなんて、どこにもないよ」
その後で章子、と名前をちゃんと呼んだ。
(同)
こういうベッドシーンはいいですわねぇ。男と女の複雑さがよく表現されていますわ。女の子とセックスした後に、子供の写真みせて「かわいいだろ」と男に言わせたりすると、すれっからし過ぎますが、婚約指輪外してコトに挑もうっていうのは女に選択権を与えているわね。わかってて男に抱かれる女には最後まで選択権が残るのよ。別れるも付き合うも女次第ってことね。小説で社会一般の倫理を説いてもしょうがないわ。倫理でも論理でも解消できない人間社会の矛盾を描くのが小説よ。
「わたしは好きじゃない人としたことはありません」
小玉さん、小玉さん、小玉さん。もう一度、祈るように呼ぶ。
「でも、わたしを好きじゃない人としたことはあります」
小玉さんは目を細めて章子を見た。また天井に向き直り、そのままの姿勢で今までで一番優しい声を出した。
「僕は、好きだったよ」
さみしくて、笑いそうになった。これが大人の上手な嘘の吐き方。(中略)
あしたは自分のために指輪を買いに行こう、と思った。小指につけるものがいい。(中略)
「わたしはもう少ししたら、ひとりで帰ります」
窓の外にはたぶん雪が降っていて、きっと月がひとつ出ている。
(同)
このモヤモヤっとして、なんども後味の悪い感じが残るエンディングは処女作ならではのものかもしれませんわね。うぶい女の子がよく表現されているわぁ。だけどお作品を量産し始めると、このくらい中途半端というか、切迫した緊張状態で小説を終わらせることは難しくなります。なんらかの形でもっと強いオチをつけなければ、次々に作品に取りかかれなくなるのよ。その意味でも「ひどい句点」は秀作ですわ。
里香にはもともと女中願望がある。
現在里香はこの高級マンションの三〇二号室の通いの家政婦だが、本当にやってみたいのは女中であった。(中略)
幸田文の小説「流れる」の影響である。
里香は高校生のとき幸田文の随筆に出会い、のめりこみ、文庫本で手に入る作品はほとんど読んでしまった。(中略)
里香は本来料理も掃除も得意ではないし、好きでもない。しかし、里香が小さいころから母はやたらと疲れやすかったし、妹の多美子は気安く手伝いを頼める身体ではなかった。だから里香は、小学校高学年のころから家中の掃除洗濯を引き受け、中学生になってからは夕食もつくっていた。
(嶋津輝「姉といもうと」)
もう一人の新人賞受賞作家、嶋津輝先生は昭和四十四年生まれで四十代後半です。明らかに小説を書き慣れていらっしゃるわね。里香と多美子という、まだ若い姉妹が主人公です。両親はすでに亡くなっていて、実家に二人で住んでいます。女中願望のある里香の仕事は派遣の家政婦です。妹の多美子の仕事はラブホテルのフロント業務。小さい頃から姉妹を可愛がってくれたご近所の荻野夫妻がラブホテルを経営していて、大学を卒業しても就職していなかった多美子に声をかけてくれたのをきっかけに働くことにしたのでした。多美子が働く理由はそれだけではありません。多美子の左手の指は、人差し指と中指を除いて第二関節から欠けているのでした。「こんな手の私に、何の心配もせず、フロントをやらせようって言うんだから、張り切っちゃって当然でしょう」と多美子は言いました。
女中に憧れ裕福な家の家政婦をする姉、左手の指が欠けていてラブホテルのフロントで働く妹と、大衆小説的な舞台が揃っています。ラブホテルは意外と家族経営の場合が多く、その淫靡で扇情的なイメージとは裏腹に、地道に営業されていることが多いのです。荻野夫妻が幼い頃から知っている多美子にフロントをまかせたのも、お金を扱うフロント業務では、それまでに数々の不祥事が生じていたからです。もちろん姉と妹の接点は線としてつながります。里香が家政婦をしている家の保母という名前のご主人が、妹の彼の山名君の上司だったのです。
「私の指のことってね、面と向かって訊いてくる人って、ほとんどいないの。里香ちゃんですら直接は何も言わないよね」
里香はどきりとする。たしかに、里香は幼いころの父の言葉を守り、母に訊かなかったばかりか、多美子にも、指に関する話を持ちかけたことはなかった。(中略)
里香は多美子の次の言葉を待つ。
「保母さんは、お店に入って、ビールが来て、乾杯するときに私の指に気づいて、間髪入れず〝どうしたんだ? その指は〟って、大きな声で訊いてきたの。あんまり屈託なくて笑っちゃった」
(同)
病弱な母と指の欠けている妹に代わって、本当は得意ではない料理や掃除を始めた姉、コンプレックスを抱えながら、それゆえに人の心を正確に理解して磊落に生きる妹のキャラクターがはっきり造形されていますわ。無神経なようで繊細な彼氏の上司のキャラクターも明快です。嶋津先生がそうなさるかどうかは別として、「姉といもうと」で設定した舞台とキャラクターで、十分単行本一冊くらいの物語が書けそうですわ。佐々木愛先生の渾身の力作といったお作品とはちょっと質が違いますけど、小説を量産できそうな即戦力作家様かもしれませんわね。これからお作品を読ませていただくのが楽しみなお二人でございます。
佐藤知恵子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■