ひところ「あらすじで読む××」っていう本がはやりましたわね。あの源流は、シドニー・シェルダンなんかの「超訳」本から生まれたのかもしれませんわ。要するに物語の筋だけを追ってゆくっていう本よ。ずいぶん乱暴なお話ですけど、それって物語の基本ではあるわね。子供にお話をしてあげて、「次どうなるの? どうなるの?」って続きをせがまれるのが物語の基本ではあります。ただその場合でもエリナー・ファージョン先生的な物語の展開って方法もござーますわ。
ファージョン先生は児童作家として知られます。またその物語は白雪姫とかシンデレラとか、よく知られた物語を下敷きにしていることがおおござーますの。でもファージョン先生の書き方ともうしますか、語り口は独特なのよねぇ。知っている物語のはずなのに、なんかズレてゆくのよ。そのズレを楽しむのがファージョン先生のご著書ってものよ。確かにストーリーはあるんだけど、本質的なところで大混乱してるの。大人になるとそういった物語の方が楽しいわね。あ、ファージョン先生は子供にも大人気ですから、子供だって単純な物語を好むとは限りませんわね。
アテクシ、テレビで宮崎駿先生の『千と千尋の神隠し』が放送されると、つい見ちゃうのよ。あの映画って、千尋ちゃんのご両親がブタに変えられちゃって、千尋ちゃんが魔界にさまよいこんで、いろんな苦労と冒険をした末に、ご両親を救い出して現実世界に戻ってくるっていうあらすじになるわ。だけどあの映画に関しては、あらすじなんて意味ないわよね。
『千と千尋の神隠し』で一番素敵なのは、千尋ちゃんとカオナシが水の上の電車に乗ってるシーンよ。あれいいわぁ、うっとりしちゃう。乗客はいるんだけど、みんな顔はなくって、影みたいに降りてゆくのよ。そして千尋ちゃんとカオナシだけがポツンと座席に座ってるの。ああいうのが際立つのが優れた物語だと思いますわぁ。映画って、ストーリーよりも絵のワンシーンの方が心に残りやすいところがござーます。それはある程度までは小説でも言えることよね。
予定から一時間ほど遅れ、目黒区の高沢邸に到着した。クルマを敷地内に停め、一階のチャイムを押したが、インターホンに応答はない。次いでドアノブに手をかけたが、ロックされていてドアは開かない。(中略)
倉崎は、高沢邸の三階の入口に向かうべく、近道である建物脇の階段(公道)をゆっくり登る。その途中、上から降りてくる若い女性とすれ違った・・・・・・色白の小顔に大きな瞳、アニメキャラっぽくてなかなか可愛い顔立ちだ。
一瞬「どこかで見たことがあるような」とも思ったが、具体的な場所や状況とは結びつかなかった。おそらく気のせいだろう。
(未須本有生「小説家高沢のりお氏の災難」)
松本清張賞作家・未須本有生先生の推理小説でござーます。フリーデザイナーの倉崎の元に、学生時代からの友人で今は売れっ子ミステリー作家の高沢から電話がかかってきます。折り入って相談に乗ってほしいということで倉崎は高沢邸に向かうのですが、道路が渋滞して到着時間が一時間も遅れてしまいます。チャイムを鳴らしても応答がありません。しかたなく三階の事務所に行って中に入ると、高沢は一階の書斎で血まみれになって倒れていたのでした。血は実はワインで高沢の命に別状はなかったんですけどね。
倉崎は高沢邸の三階に向かう途中で「色白の小顔に大きな瞳、アニメキャラっぽくてなかなか可愛い顔立ち」の若い女性とすれ違います。「おそらく気のせいだろう」とありますが、この女の子が物語のキーパーソンになるのはすぐわかりますわね。アテクシたちは、どーいう展開で、どーいう飛び道具を使って先生が物語を落としてくださるのかしらと期待しながら小説を読んでゆくのです。
こういったお作品は、いわゆる〝筋追い小説〟でござーますわ。悪い意味で言ってるんじゃござーませんわよ。大衆小説の王道ですの。わかっちゃいるけどやめられない世界ね。ほら、米倉涼子様主演のドラマ『ドクターX』で、岸辺一徳様の「メロンです。請求書です。」のシーンがないと、テレビに向かって「話が違うっ!」って言いたくなるでしょ。水戸黄門的クリシェですけど、安心しながら差異を楽しむ小説ってあるの。大衆小説の世界では、こういったクリシェ的筋追い小説が書けなければ作家として失格よ。
(ないわ・・・・・・)
二つの意味で「なかった」。
少し前から付き合っていた男に金を持ち逃げされたこと。もう一つは大学生の自分から金を盗んでいくような男と寝ていたこと。ああ、広い意味でもう一つあるか。夕べ家に泊まっていた男が「いない」こと。
ゼミの先輩から譲ってもらった年代物のノートパソコンが壊れた。うんともすんとも言わなくなったソイツをお焚きあげして、デスクトップタイプの立派なパソコンを買うつもりだった。大学の傍らのガールズバーで週3回アルバイトをしながら、生活を少し切り詰めてこつこつためた私の18万円。今日、池袋へ行って「カッコいいパソコン」を家に迎えるために気前よく使うつもりで、夕べ銀行から下ろしてきた金だった。全部は使わないだろうけど、とりあえず現金に余裕を持って買いたいな、とか言っていた自分を呪う。
それを、寝ている間に、ごっそり、盗まれた。
(壇蜜「光ラズノナヨ竹」)
今月号には壇蜜さんの「本格的小説誌デビュー作!」(オール様編集部コピーよ)が掲載されています。壇蜜さんは週刊新潮を始め、さまざまなメディアにお原稿を掲載しておられます。アテクシも楽しんで読んでいますわ。それを読むと、壇蜜さんが小説をお書きになれる力を持っていらっしゃることはすぐわかります。あとはテクニックの問題よね。それと発表メディアとの相性かしらね。
「光ラズノナヨ竹」はとってもいい出だしでござーます。主人公はアンバランスな女の子よね。パソコンを使って大学の卒論なんかを書こうとしているので、真面目に勉強している子だわ。でもガールズバーで比較的割のいいアルバイトをしていて、しかも女子大生のなけなしのお金を平気で盗むような男と付き合っている。男を見る目がないって言われてもしかたがないわね。じゃあお金のためならなんでもする子かっていうと、18万が大金でコツコツ貯めたわけですから、あんまり享楽主義の子じゃないわ。この、崩れていると言うより、少女と大人の間でうまくバランスが取れない女の子が、なけなしの18万円を盗まれて、その難局をどう乗り切るのかが物語のポイントになるわ。
このポイントを小説として展開すれば、基本的には心理小説になります。〝筋追い小説〟ではテーマを十分に表現できないってことよ。ただそこのところがちょっと中途半端になってるかしら。
私は大事にされることが当たり前で、自分の力を過信していた。案の定現実に太刀打ちできなかっただけで、すべてを放棄した。面接講座に就職セミナー、先輩訪問・・・・・・お膳立てや救いの手はいくらでもあったのに応じなかっただけだ。
目立たない場所で光らずに腐っていたから、誰にも見つけてもらえなかった。それだけだ。
そんな今の私が沖名さんいついていく資格はない。
(同)
女子大生はおっぱいパブで働いて18万円を稼ぐことにします。殿方の幻想を打ち砕くようですけど、別に性的じゃない女の子が、それどころか性に冷めている子が、こういった思い切った仕事をすることってあるのよ。「自分への罰ゲームだと思えばいい」、「なんだこれ。最初は呆れた気持ちしか芽生えなかった」とあります。
そのパブに、母親の元彼で会社経営者の沖名が接待でやって来ます。海外生活が長い沖名はおっぱいパブに仰天するのですが、女子大生の方から声をかけます。沖名は驚きますが、叱ったり、女子大生の秘密のアルバイトにつけ込んで性的な欲望を起こしたりもしません。沖名は子供の頃の女子大生を知っているのです。ここでバイトしてるの、ああそうといった淡泊な対応です。こんなバイト、やりそうだけど、この子ならだいじょうぶってことです。こういう所にもアンバランスな女子大生の性格が出ていますね。
就職が決まっていない女子大生に、沖名は自分の会社に来ないかと言います。しかし女子大生は断ります。「私は大事にされることが当たり前で、自分の力を過信していた。案の定現実に太刀打ちできなかっただけで、すべてを放棄した」「そんな今の私が沖名さんいついていく資格はない」とあります。「光ラズノナヨ竹」はビルドゥングスロマンです。
ただ女子大生の精神的成長を描くには、「光ラズノナヨ竹」は短すぎます。またそれを無意識的にであれ、大衆小説の枠組みで表現するのもどうかなと思います。テーマから言っても、主人公の性格から言っても、純文学的枠組みの方がすんなりいくでしょうね。ビルドゥングスロマンでは言うまでもなく、成長の結果ではなく〝過程〟が大事なのです。
佐藤知恵子
■ 未須本有生さんの本 ■
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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■