大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.097 文學界 2016年03月号』をアップしましたぁ。文學界さんでは長いこと、最初のページに自由詩が掲載されていました。大篠さんはそれについて書いておられます。
かなり長い間、文學界巻頭には一ページの詩が掲載されていた(もちろんモノクロ)。(中略)それがいつ頃からかカラーページになり、自由詩だけでなく俳句、短歌なども掲載されるようになった。これも現代詩の凋落を端的に表す現象である。詩に興味のない文學界編集部ですら、つまらない現代詩を巻頭に掲載する必要はなどないと気づいたのだろう。(中略)
詩が掲載されていた頃は、編集者が片手間に、友達の輪的に紹介の紹介で詩人を選んでいたのが見え見えだったが、少し力を入れてグラビアページを作るようになったというわけだ。しかし文芸誌のグラビアページ、けっこう難しいなと思う。文学を含む文化世界は、原則として人気投票で序列が決まる領域ではない。純文学誌ならなおさらのことで、雑誌の見識が反映されていなければ面白くない。その見識を表明するのが今はとても難しい時代だと思う。
(大篠夏彦)
自由詩はまぢヤバイと思いますが、頑張れ自由詩でもあります。自由詩の詩人たちはホントに奮起してくらはい。
んで大篠さんは山崎ナオコーラさんの『美しい距離』を取り上げておられます。末期癌の妻を看病する夫の物語です。『登場人物たちは、癌と死と終末介護を巡る情報を嫌というほど持っている現代人なのである。(中略)ステレオタイプな物語を拒絶したいという知性がある人なら、死の間際は静かなものになるだろう。(中略)「美しい距離」は、現代的な死の場面を捉えた純文学作品だと思う。(中略)ただやはり閉塞感が強い。(中略)この、つきつめて言えば世界全体を覆っている情報過多の閉塞感を、どうやって抜け出してゆくのかが私小説文学に求められる現代的アポリアだろう』と批評しておられます。
ただ身内や親しい人を癌で亡くした人には『美しい距離』は響くでしょうね。小説は物語という、つきつめれば通俗的読解誘引要素を持っているから強い。そういった読解誘引要素は詩のジャンルにもあるでしょうね。それを見つけられなければ、さらに追い詰められてゆくことになります。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評 『No.097 文學界 2016年03月号』 ■
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