アテクシ、年齢的には古い世代に属し始めておりますけど、ちっとも落ち着いて成熟したという気がしませんわ。そりゃあ同世代には功成り名を成した、のかどうか知りませんけど、もう完全に頭の中が後ろ向きになって、昔話に花を咲かせている人もいますわ。でもわたしたちの世代が安定しているとは、どーしても思えませんのよねぇ。
だいぶ前に村上龍先生が、世の中は一九六〇年代から基本的に変わっていないとおっしゃっていました。それはまったくそうだと思います。生活はグッと豊かになり、いろいろ便利な製品も増えましたけど、六〇年代から〝現代〟のフレームは変わっていませんわね。
だけど八〇年代初頭までの工業中心の利便性の追求は、外的な利便性が内面に影響するといった変化よね。でも九〇年代以降の高度情報化がもたらしたのは、ほとんどテクノロジーの存在を感じさせない人間の内面の変化よ。インターネットって、恐らく人間の頭脳にすごく近しい性質を持っているんだと思いますわ。
この変化はもう後戻りしないわね。九〇年代以降は、インターネットを基本インフラとして人間社会の変化が進行してゆくのは確実よ。ビジネス社会はもちろんのこと、文学の世界にも多大な影響が及ぶはずですわ。だって文学って世界のほんの小さな領域に過ぎないのよ。社会全体の変化の影響をビビッドに受けるのが文学というものですわ。文学者が多少でも特権的な存在とみなされるのは、現代社会を的確に捉え、未来のビジョンを示唆できている限りにおいてよ。それができなければ熟練の職人さんと同じですわね。
今はあらゆる情報の、少なくてもその手がかりくらいはインターネット上に溢れている時代でございます。一九八〇年代くらいまでは、秀才の必須要件は記憶力でしたわ。今でも受験勉強には圧倒的な力を発揮しますけど、文学を含む実社会に出れば話はまた別よ。情報を結びつける能力の方が遙かに重要になるの。無限の情報の中から的確に重要な情報を選び、それを結びつけて新たな思考や方法論を生み出す能力よ。それがなければどんなに記憶力が優れていても、その力を発揮することはできないわね。
一昔前はペダンティズムがインテリの一つの能力とみなされていました。簡単に言うと、いろんなことを何でも知っている能力のことね。今ではそれは、完全に一次情報になってしまったわ。誰かから知らない情報を教えてもらっても、それは簡単に手に入る開かれた情報ですから、すぐに一般化されてしまうの。何を知っているかではなく、それを組み合わせて現代的な知を生み出せなければ、どんなに情報を抱えていても無駄よ。
大衆小説誌では時代小説が相変わらず大流行でござーます。オール様でも半分くらいは時代小説ね。ここ十年くらいで、時代小説のディテール描写はすんごく詳細になりましたわ。江戸時代の情報が世の中にあふれかえっている影響ね。だから江戸という時代のアトモスフィアを感じさせる時代小説を書くのは、一昔前に比べてとっても簡単になりましたの。問題はその先ね。大衆小説とはいえ、一次情報を超えるなにかを表現していなければ、それは優れたお作品とは呼べませんわ。
「酷え話だ。人の皮着た鬼畜だ」
と吐き捨てるように筧兵十郎はいった。淺右衛門の話を聞かせた時の第一声は、この温厚な男に似つかわしくない凄まじい怒気を含んでいた。
仁八郎もむろん狂気の沙汰だと思うが、直に話を聞いた自分より筧の憤激がなお甚だしいのは、一石町で揚がった無残な死体を直に見て、それにいわば肉付けをほどこされたかたちだからに違いなかった。
生きながらの試し切りという残忍な仕打ちは誰にでもできるようなことではない。時期からしてもぴたりと平仄が揃っている。久五郎殺しは淺右衛門が見た男に相違なかった。
しかしながら淺右衛門の口から「表六番町の菅沼源之丞」という名前が出た時は、跳びあがるほどにびっくりした。すなわち遠州屋に上州屋を案内した旗本と同一人だからである。
(松井今朝子「縁は異なもの」)
「縁は異なもの」は松井今朝子先生お得意の、サスペンスタッチの謎解き時代小説でございます。主人公は町廻り同心の間宮仁八郎です。まだ二十二歳の若侍です。ある日江戸の一石橋あたりで死体があがります。殺されたのは日本橋薬種問屋の総領息子、橘屋久五郎でした。しかし殺され方が無残です。両手両脚を縛られ、生きながら殺されたようなのです。調べてゆくと、致命傷になった刀傷は、幕府御用の処刑人・山田淺右衛門のものとわかりました。しかし淺右衛門はゆえなく久五郎を殺したわけではありません。旗本の菅沼源之丞に呼び出されて屋敷を訪れると久五郎が縛られていて、菅沼にこの男で刀の試し切りをせよと命じられたのでした。淺右衛門が断ると激した菅沼が久五郎を斬ったのですが、絶命させることができません。もはや助からぬと見てとった淺右衛門が、久五郎に留めを刺してやったのでした。
旗本の菅沼は阿片の常用者でした。薬種問屋で薬の調合に精通した久五郎が、いわゆる媚薬として阿片の丸薬を製造できること知った菅沼は、久五郎に幻覚作用の強い薬を調合させていました。しかし久五郎が結婚を機に御政道に反する薬の調合を止めたいと言いだしたので、口封じのために久五郎を斬り殺したのです。また菅沼は養子として菅沼家を継いでいましたが、実父は小普請奉行の興津勘解由でした。興津は幕府御用商人の上州屋に不正経理を命じ私腹を肥やしていましたが、それが露見しそうになり、子の菅沼と共謀して上州屋を殺したのです。興津・菅沼親子は私欲のために二人も町人を惨殺したのです。
「かりにその見立てが当たっていても、確たる証拠が何もないのでは、御奉行に訴えたところで、お困りになるだけだろう。何しろ興津家は神君東照公から続いた譜代の名門で、たしか老中方のお一人とも縁者に当たると聞くからなあ」
と筧が存外ここに来て日和り出したことも、仁八郎には応えた。
事実はそうであっても、そこには名門の旗本に対する抜きがたい遠慮が窺えた。(中略)武士は相身互いという暗黙の了解がそこにはあって、町人の殺害は切捨御免の習いと言い訳されたら反駁しようがないのも事実なのだ。
先輩同心の中で最も信頼に足ると見られた筧でさえ、名門の旗本が相手だとこうも腰砕けになるのでは、神も仏もあるものかといいたくなる。(中略)仁八郎はギリッと奥歯を噛み鳴らした。
(同)
松井今朝子先生は、江戸学者とお呼びしていいほど江戸文化に精通しておられます。直木賞受賞の『吉原引手草』は松井先生らしいエッセンスが詰め込まれた読みごたえのあるお作品でございました。直木賞受賞後に、確かオール様だったと思いますが、林真理子先生と松井先生の対談が掲載されたことがございます。林先生の時代小説は、先生らしいなんちゃって時代小説ですが、松井先生のそれは本格派です。ただ林先生が、あまり江戸文化の細部にこだわると小説が読みにくくなると、おずおずとおっしゃっていたのが記憶に残りました。
松井先生の時代小説は、お作品を重ねるにつれて、どんどん読みやすくなりましたわ。でも奉行所同心と旗本との身分の格差、武士と町人との格差といった記述はとても松井先生らしいと思います。江戸という社会のフレームを前提とすれば、この格差を超えることは絶対にできません。だけどそれでは大衆小説にはならないわけで、この格差をどう解消するのかが現代にも繋がる作家様の思想ということになりますわね。
「波風を立てて、へたに敵を作れば、もしかすると子や孫の代にまで祟りましょう。ご公儀の役人方がそれを恐れる気持ちは満更わからぬわけでもござりませぬ」
と女は皮肉に笑った。(中略)
ぼそぼそと呟くような調子から一転して、小田切はまっすぐに庵主を見すえた。
「志野殿は、まだ身共のことを恨んでおいでか」(中略)
「恨んではおりませぬが、愚図なお方じゃと思うております」
その言葉には万感の思いが込められているように聞こえた。(中略)
「此度はぐずぐずとはしておれんのう」
と上司がここで明言したのは、仁八郎にとって何よりの僥倖と聞こえた。
(同)
詳しい人間関係はお作品を読んでいただければと存じますが、仁八郎の上司の北町奉行・小田切には、過去に借りのある女性がいます。若い頃の同僚の妻で、今は出家して小さな庵を営んでいる志野という女性です。惨殺された薬種問屋・久五郎の結婚相手が志野の可愛がっている町人の娘だったことから、志野は因縁のある小田切を呼び出して正義の裁きを下すことを暗に求めます。
この箇所はスリリングですね。江戸封建社会が男社会だったのは間違いありません。女性たちが歴史の表舞台に登場することは、少なくとも正史の上ではほぼありません。文化面でもそうです。ただ女性たちが単に虐げられていたと言うのも正確ではないはずです。女たちが社会的権力を持つ男と交わす言葉が、結果として物事を動かしたことは多いはずなのです。実際、志野の言葉は小田切を動かし、興津は小普請奉行を罷免されて閉門の上永蟄居、その実子の菅沼には切腹という厳しい御沙汰が下ります。でも御沙汰の結果が簡単に示されるだけで、その経緯は小説内では明らかにされていません。
ちょっと二兎を追っている気配がございますわね。女性作家様は、閨房とか台所とかで交わされる、秘やかな話で男たちを動かす物語を書くのが得意なところがございます。でも男社会の残酷な権力を描くのはちょっと不得手ね。女の言葉が男を動かしても、その先の社会システムの変革にはまだまだ距離がございます。もちろん松井先生はそんなことは重々ご承知でしょうから、腰の据わった長編小説では江戸社会全般を視野に入れて、それを突き抜けるような、つまり現代にも通じるような倫理や正義を描き出されることと思いますわ。
佐藤知恵子
■ 松井今朝子さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■