山際恭子さんのTVドラマ批評『No.129 叡古教授の事件簿』をアップしましたぁ。テレビ朝日さんで5月21日に放送されたコメディタッチのサスペンスドラマです。主演は藤木直人さんで、田中直樹、清水富美加、白洲迅、宇梶剛士、浅野ゆう子、武田鉄矢らが出演しておられました。原作は門井慶喜さんの『東京帝大叡古教授』です。小説は直木賞の候補作にもなりました。
主人公の名前は宇野辺叡古ですが、これは言うまでもなく哲学者のウンベルト・エーコを踏まえています。原作の舞台は明治なのですが、ドラマでは現代に置き換えられています。それがかなり決定的な陥穽になっているやうです。
山際さんは、『アナログな教授をフォローする学生もまた、ドラマには登場する。現代の知性とは、確かにあれこれと覚えこむことではなくて、検索し、引用するスキルであるとも言える。ならばこのドラマも主人公も、ウンベルト・エーコ的なるものを引用しただけ、かもしれない。そこへの思い入れやオマージュを敢えて排したということだと、しかしそれはパロディとして、徹底した批判意識がなくてはなるまい。それこそ知識の山積に対する、切れ味鋭い知性が試される。それに挑戦するなら、まずその覚悟、はっきりと伝わる宣言が必要だ』と批評しておられます。
一昔前まで、秀才の絶対的能力は記憶力にありました。博覧強記というヤツです。記憶力は整理整頓能力の高さでもありますから、論理的思考能力もそれなりに高い。今でも受験勉強で圧倒的に有利なのは記憶力と整理整頓能力の高い人です。でも社会は変わり始めている。情報を選び出し、いっけん無関係な情報を結びつけて新たなモノを生み出す能力が求められています。つまり一昔前の秀才である宇野辺叡古先生を現代に登場させ魅力ある人物にするためには、原作を改変した仕掛けが必要になります。
ネット時代は絶対後戻りしないので、人間の知的能力は、間違いなくサーバ上に過去の知のリソースをストレージした上で、それを改変しながら新たなコンテンツを作りあげる方向にシフトしてゆくと思います。現在はこのような知の在り方自体が物珍しく、前衛小説などに仕立て上げられることがありますが、そういう作品はあっという間に古びるでしょうね。情報化社会の知を当たり前として捉え、その前提の上で作品を作らなければ作家は厳しい。もちろん旧時代的な知性を基本として作品を作ることもできるわけですが、それには時代は変わったという認識を前提とした上での〝凄み〟を見つけ出す必要があります。
■ 山際恭子 TVドラマ批評 『No.129 叡古教授の事件簿』 ■
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