優れた作品に出会うと純文学はやっぱり凄いなと思う。しかしその確率はかなり低い。「文學界」を読んでいても、秀作だと思う作品に出会うのは年に数回だ。たとえ駄作でも、大衆小説にはなんらかの形で読者を楽しませようという作家の意図がこめられている。しかし純文学にそんなサービス精神はほぼ存在しない。作家たちは通常の意味での面白さを超える面白さを表現しようとしているのだろうが、伝わらないことが多い。多くの作品がボツになっているのになぜこの作品が掲載されているのかと首をひねることもしばしばだ。「文學界」が文学の世界そのものなのだと信じたままリタイアして、特権的エッセイを書きながら相馬川で悠々と釣りをしている人ならそれでいいだろうが、僕らはそんなに暇じゃない。毎号でも選りすぐりの秀作を読みたいと思う。
時々、自分は空っぽのコップではないかと思う時がある。そこに上司や取引先の人の意見や自慢話がとめどなく注ぎ込まれる。僕は相槌を打ち、愛想笑いを浮かべるだけで、その流入を防ぐことはできない。人生は素晴らしいと強調する人がいれば、人生はくだらないと吐き捨てる人がいる、この国は終わっていると嘆く人がいれば、この国は最高だとはしゃぐ人がいる、ここはどこよりも安全だと断言する人がいれば、ここは世界で一番危険な場所だと嘆く人がいる。
正しさも間違いも矛盾も関係ない。一人ひとりに生活や意見があり、経験や思惑も異なる。(中略)全く納得できない意見にも曖昧な態度でやり過ごすくらいがせいぜいだ。そういったやり取りを続けていると、自分が本当に感じたり考えたりしていることを見失ってしまう。各々の正しさが屹立しているという事実を傍観することしかできないと実感し、その群れの中で僕の意見は埋もれている。
コップの蓋が欲しかった。もう誰の話も聞きたくなかった。上司に言われたことだけをこなし、注文を受けた商品を顧客に渡し、金を受け取った瞬間に他者との関係を完全に断ち切りたかった。
(太田靖久『かぜまち』)
太田靖久氏の『かぜまち』は、川辺という名の少年が十一歳から十九歳になるまでを断続的に綴った百枚ほどの短篇である。川辺少年は海に近い山間の小さな温泉町に両親と住んでいる。モモナという小学校以来の恋人がいる。それに幼なじみのミツメと、彼女の恋人になる同級生の浅海が両親を除く交友関係のほぼすべてだ。ミツメは祖父のイサオと暮らしている。ミツメと両親、それにイサオ夫婦が乗った車が事故にあい、ミツメとイサオだけが生き残ったのだ。それを機にイサオは市会議員に立候補して当選し、町の有力者になった。初老だがバイタリティに溢れた男で、町おこしに尽力するかたわら、「老人ファイトクラブ」というアマチュアプロレス団体を作って自らもリングに立っている。
川辺は小学校の時に「ぼくたち・わたしたちがこの町を選んだ理由」という自習課題の作文を出され、「良いところは一つもありません」とだけ書いた。川辺はクラスの全員に同じ内容の作文を書いて出そうと提案し、みんな賛成してくれたのだが、蓋を開けてみると他の子たちはきちんと作文を書いていた。クラスメートは川辺の少し虚無的な反抗心を面白がりはしたが、心からは同調はしてくれなかったということだ。唯一の男友達の浅海は、高校三年生の時に学校を辞めて東京の音楽学校に転校する。ミツメも高校を出たら、浅海を追って上京して同棲する予定である。みんな大人になってゆくが川辺の精神は小学校時代からあまり変わっていない。
高校を卒業し、受験を諦めアルバイトもせず家でぶらぶらしていると、イサオが仕事を紹介してくれた。川辺はあっさりその会社に就職した。将来の目的はない。川辺は自分を「空っぽのコップではないか」と思う。他者の意見に同調することもなければ強く反発することもない。人の意見にはそれぞれ理由があると考え、「各々の正しさが屹立しているという事実を傍観する」だけである。彼自身は確たる意見を持たないのだが、川辺は「コップの蓋が欲しかった。もう誰の話も聞きたくなかった」「他者との関係を完全に断ち切りたかった」と思う。もちろんそんな便利な蓋などあるわけがない。だからこの作品は、コップの蓋がないことが露わになるか、コップが壊れることでしかその終わりを見出し得ない。
「さっき一度家に帰った時にモモナに会った」とミツメが告白した。一緒に連れて来れば良かったのにと、浅海が言った。「言おうかどうか迷っていたんだけど」とミツメが声を落とした。(中略)
「モモナが家にいた。下着姿だった」
僕はそのことを知らなかった。でも知っていたような気持ちになった。ミツメの言葉を今度こそ聞き逃さなかった。その意味をすぐ理解した。
「イサオと取引した。就職先を紹介して貰った」それは実際に交わされた約束ではなかった。でも同じことなのだと思った。
「川辺は何もしないの?」
「何もしなくてもあいつは直に死ぬよ」
僕は立ち上がった。よろけて落ちそうになり、慌てた。
「このまま壁の上に住もうよ」と二人に笑いかけた。
「お前も東京に来いよ」と浅海が言った。その言葉は僕を少しも慰めなかった。僕は風になりたかった。そう口にした所で、額面通りに受け取っては貰えないだろう。
(同)
川辺は高校二年生の時に、母親に懇願されてイサオに父親の再就職先を斡旋してくれるよう頼みに行った。その時イサオは「お前も失礼だぞ。人に頼みごとをする時は何か代わりのものを用意するのが礼儀だ」と言った。川辺はその瞬間、ミツメが「朝起きたら家にモモナのお母さんがいた。下着姿だった」と言った言葉を思い出していた。それが再び起きたのだった。モモナの母親は頼み事をかなえてもらうのと引き替えにイサオと寝た。それと同様に、恋人のモモナが自分を心配して、彼と寝る代わりに仕事を斡旋してくれたのだと川辺は直観した。ミツメは「川辺は何もしないの?」と言うが、彼は「何もしなくてもあいつは直に死ぬよ」と答え怒りに燃えることもない。
「ここで待っていて」とミツメと浅海に言うと、川辺は猛スピードで車を走らせた。小動物が飛び出してきて車と衝突し、車は回転しながら休耕田のような場所に転落した。脚が動かない。数メートル先で車から漏れ出したガソリンの匂いがする。川辺は携帯を取りだそうとして、ポケットに行きつけの喫茶店のマッチがあるのを見つける。それを使って自分の名刺に火をつけた。「火のついた名刺を投げた。僅かに上昇し、揺れながら着地した。液体が瞬時に燃え広がる。青いビニールシートが照らされる。黒煙を上げる巨大な炎がその端を摑むまで、それほど時間はかからなかった」とある。はっきり書かれていないが川辺は焼身自殺した。コップが壊れたのである。でもなぜ自殺という壊れ方なのか。
川辺はミツメと浅海に「このまま壁の上に住もうよ」と言った。その壁は、「海岸沿いに汚れた場所があって、そこからの風を防ぐためにその周囲何十キロの場所を壁で囲おうとする」ために作られた。つまり『かぜまち』は震災あるいは原発小説の一つだと言うことだ。乱暴に言えば主人公の川辺は震災(原発)問題という壁に閉じ込められており、決してそこから抜け出せない存在として描かれている。なぜ抜け出せないのかと言えば、震災(原発)を小説の問題に設定しても、その答えが見つからないからである。川辺がイサオに怒りを抱かない理由もそこにある。イサオもまた壁の中に取り残された人だ。
川辺はイサオの選挙運動を手伝っていた。父親の再就職を頼みに行った時、イサオは「最初の選挙の時にお前と交わした約束を覚えている。お前の二十歳の誕生日に一緒に酒を飲もう。俺たちは仲間だ」と言う。また交通事故で妻と息子夫妻を亡くしたときにどう思ったのかという質問に、「自分のことだけ考えた。みなそうすべきだ」と答える。震災(原発)問題の答えが見つからない以上、エゴイスティックなイサオの方が正しいのかもしれない。ただ著者・太田靖久氏の思想は、答えがわからないのなら能動的に動いても虚無的な無力に留まっても同じだというものだろう。川辺もイサオも「何もしなくても」「直に死ぬ」のである。
これも乱暴な言い方をすれば、震災小説、原発小説は掃いて捨てるほどある。大衆小説は震災や原発事故になんの意味があるのか見いだせないまま、たいていは希望を示唆して作品をまとめている。それに対して純文学作品は、太田氏の『かぜまち』のように「わからない」で終わることが多い。それは正直な態度(認識)だろう。しかしわたしたちが「わからない」と表現された作品を、それが純文学だからという理由で高く評価することはない。『かぜまち』の川辺とイサオが同類であるように、答えがわからないなら絶望しようと希望を描こうと同じである。
東日本大震災以降、いくつかの小説文芸誌が〝震災文学〟の特集を組んだ。流行の作家や思想はもちろん、人々の関心が高い社会的事件や天災を、雑誌を売る目的で出版社が特集にするのは当然だと思う。ただ〝震災文学〟が存在するのか、成立可能なのかという疑問は残る。天災に意味などない。震災文学という言葉が現れたのは、東日本大震災が時代の節目となる決定的出来事だという認識が人々の間に芽生えたからである。じゃあ熊本大地震はどうなるのか。それもまた決定的な出来事であり、震災文学は列島を縦断するのか。大衆作家も純文学作家も、次は熊本大震災を題材に小説を書くのか、と考えてゆくとバカらしくなる。深刻な被害をもたらす地震は今までも起こってきたし、これからも起こる。社会的良心を代表しているかのような作家が、「原発事故の被害は特別だから」とは言えないだろう。
政治家になって国政をまとめ上げ原発を廃止しない限り、文学者が解決できる問題は何一つない。またそれは日本一国の話だ。世界中で原発は増え続けている。原発を持つ国で事故が起こる可能性がないとは言えない。人類はリスクを承知で原発を作った。そのリスクが大災害として現実のものとなったわけだが、わたしたちは人間が生み出したテクノロジーがもたらす災厄が、さらなる新たなテクノロジーを生み出すことでしか解決できないことを知っている。それは技術者の仕事だ。文学者にできるのは原発事故以前と以後の人間の精神を描くことだが、プロバカンダ小説を書く気がない限り、原発開発や運営にたずさわった人間にも被害を受けた側にも深刻な精神の傷はある。原発事故そのものは空白だ。またそのような精神の傷は原発以外のテーマでも描ける。
もし震災文学というものがある、あるいは成立可能だとしても、それは必ずしも震災や原発事故の災厄を描くことにはないと思う。比喩的に言えばわたしたちの精神が揺れている。わたしたちの精神は東日本大震災の前から揺れ始めていたのだし、少なくともこれから先もしばらく揺れ続けるだろう。その揺れに一応の決着を見いだせた時、わたしたちは地震を天災として、原発問題を事故として捉えられるようになるのではないかと思う。
大篠夏彦
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