小原眞紀子さんの連作詩篇『『ここから月まで』第02回 影/週/角』をアップしましたぁ。抒情詩的な書き方なのに突き放した冷たさがあり、人間存在や世界を見通すかのような諦念にも近い認識が暖かさを生んでゆくのが小原さんの詩の魅力でせうね。
週
月曜に雨が降り
黄色い傘を買った
憂鬱な気分が吹き飛んで
映画を観に出かけた
傘は電車に忘れてきた
恋愛ものなのに一人だったから
火曜から日記をつけはじめた
バイトの日で、時給が五〇円上がった。と
水曜には喧嘩をした
アパートの隣人で
何かしらうるさいと言う
きっと僕に違いないと言う
何もしてなくてもうるさいと言う
存在そのものが
木曜に足が震え
悪寒がすると思ったら風邪をひいていた
ずっと眠っていて
気がつくと枕もとに桃缶があった
触ると冷たかった
白い甘さが脳髄に沁みた
誰が持ってきたのか
いくら考えてもさっぱり思い出せない
金曜に買い物に出たら
あの傘を持った女の子を見かけた
背の高い奴と一緒だった
よかったと思った
週末は洗濯をする
何もかも流れて消える
僕も過去そのものとして
(小原眞紀子『週』全編)
今回の連作では『週』がティピカルな小原さんライティングだと思います。詩人は書き方に骨格がなければなりません。それがないと、内容がどんなものであっても詩として魅力のなひものになってしまひます。またこの詩人の骨格は、自由詩である以上、ある時点から本質的には誰の影響も受けていないものに抜けてゆかなければなりません。
詩にはダダイズムやモダニズム、シュルレアリスム、戦後詩、現代詩など様々な詩の流行がありました。どんな詩人でも、過去の何かから影響を受けているものです。また影響を受けている方が読みやすい面があります。しかしある時点で、たいていの詩人は過去の影響から脱却します。すると途端に詩に魅力がなくなってしまふことが非常に多い。
現実的側面から言っても、詩人は特定のカルチャーに属していてはダメなのです。最後とのところ、無色透明な精神において独自の表現を模索しなければなりません。その意味でも詩人さんたちにとって文学金魚は良いプラットフォームだと思います。まず小原さんが、そのような詩人本来の書き方を示してくださるでせうね。
■ 小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』第02回 影/週/角』 pdf版 ■
■ 小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』第02回 影/週/角』 テキスト版 ■
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