小原眞紀子さんの新連載純文学小説『神違え』(第01回)をアップしましたぁ。『はいから平家』に続く小原さんの純文学小説第二弾です。マンション管理会社の交代に伴う現実の軋轢をリアルな人間関係に即して描いておられますが、そこでの人間の嫉妬や権力欲が、抽象的幻想(イリュージョン)にまで昇華されてゆくのが小原さんの作品の醍醐味です。純文学といってもユーモアや謎解きが含まれている点も、小原さんの作品の特徴でしょうね。
天の岩戸が開いたと、彼女は言う。
玄関先で、わたしから光が溢れ、希望が見えた、と仰ぐ素振りをする。
能舞台の話じゃないの、とわたしは訊いた。
近くの小蔵坂公園は高台にあり、梅も桜も時を経ず咲く。季節が近づき、そこに能舞台を設えて幻の演目を、と電話で聞いていた。
「だから。そのためにも、もとおさの力が」
もと、おさ。
来林理事長は、わたしをそう呼ぶ。
お付きの女は平埜というらしい。来林理事長と同じくらいの五十年輩だが、身なりを構わず、やや老けて見える。
二人をダイニングに上げ、急須に茶葉を入れる。
念じてよ、と来林理事長は言う。「番台を変えたいの。どうしても、そうしなくては。さもないと」
風呂の水が抜ける、と平埜が呟いた。
わたしには呪術の力がある。
このマンションで、そう思われている。
(小原眞紀子『神違え』)
現実にある役職名や会話をちょっと変えるだけで、この物語が古代的なものにまでつながっていることが示唆されます。『はいから平家』に続く連作純文学小説である由縁です。
小原さんは源氏物語論である『文学とセクシュアリティ』を書き上げ、連作詩篇『ここから月まで』を連載中です。どんどん新しい試みにチャレンジしておられる。筆力も旺盛です。石川は口を酸っぱくして作家は次々に書かなければダメ、新しいことにチャレンジしなければダメだと言い続けていますが、小原さんは申し分ないですね。作家がダメになるというのは、何を書いても『また同じことをしている』と読者に見切られることです。どんな形であれ、作家は変わっていかなければなりません。作家の可能性とは、未知の表現領域を開拓する能力のことです。
本が売れない、誰も読んでくれないと嘆く作家は多いです。でも自分から打って出る作家は少ない。他者の好意や僥倖が天から降ってくるのを待っていてはダメです。作品に自信があるのなら発表メディアを自分で作ったり、今までとは違うメディアで新たに読者にアピールしてみるのも作家の能力です。特に今は作品を量産し、一から文学と作家自身の表現パラダイムを作っていかなければならない時代です。何が文学にとって最も大切な〝純な部分〟であるかが揺らいでいる時代だからこそ、それを圧倒的作品量で構築していかなければならないのです。
■ 小原眞紀子 新連載純文学小説『神違え』(第01回) pdf 版 ■
■ 小原眞紀子 新連載純文学小説『神違え』(第01回) テキスト版 ■
■ 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)は3月31日〆切です ■
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