鶴山裕司さんの連載歴史小説『好色』(第05回)をアップしましたぁ。石川は毎日ハヒハヒ言いながら文学金魚を毎日更新しております。正直けっこう大変ですぅ(爆)。ただ石川の野望とか心構えを書いてもぜんぜん面白くなひので、石川が日々行っている文学状況の分析をちょっとだけ書いてみますね。
出版不況で特に純文学界(詩を含む)がすんごく大変なのは、耳にタコができるくらひ繰り返していますが、それを反映して作家にも動きがあります。小説家が自由詩を書いたり、詩人が小説を書いたりするケースが増えています。ただまぁ現状、どちゃらも成功しているとは言えないですね。文壇内部での自己差別化を行うために自由詩を書く小説家が多いのですが、はっきし言うと、こんなに儲からず、また効果も薄いとは思わなかったわぁ、といふ感じで早々と撤退なさる方が多いでふ。詩人の小説も似たようなものだなぁ。
詩人さんの書く小説は、いかにも詩人が書きましたといふ詩的な作品が多い。そりが悪いと言ってるわけぢゃありませんよ。でも小説文学を知ってる作家や編集者は、〝その作風ぢゃ作家としてやっていけないよね〟と思っちゃうでしょうね。要するに小説家の延長線上で自由詩を書き、詩人の延長上で小説を書く作家がほとんどです。それはもう別に珍しくもなくなりましたから、異ジャンルにシフトした話題性で売れる本が出るとはちょっと思えない。また異ジャンルに手を出しても、そのジャンルの本質をつかんでいない書き方をしているわけですから、継続的に書ける作家は少ないだろうといふのが石川の分析です。
あ、石川はジャンル越境などを含めて、作家がなんとか活路を見出そうとする意欲的な動きには全面的に賛成です。どんどんやった方がいいと思います。ただまあ、んー言いにくいですが、やればいいってもんじゃないです。もっと考えないと。純文学現代小説でデビューした小説家が時代小説を書いてみるといふ現象も起こっていますが、んーこりも言いにくいですが、時代小説の体を為していないことが多いんだなぁ。プロットさえ立ってないなぁ。
いずれにせよこのマルチジャンル的な状況はしばらく続くと思われ、そこから優れた才能を持った作家がいずれ現れてくると思います。ただ少なくとも異ジャンルの文学形式を理解していないといくら書いても効果は得られないと思います。鶴山さんの『好色』は詩人の詩的な小説ではないです。きちんと歴史小説になっています。石川はまずそこを買っているのでありますぅ。
■ 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)は3月31日〆切です ■
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■ 鶴山裕司 連載歴史小説『好色』(第05回) pdf版 ■
■ 鶴山裕司 連載歴史小説『好色』(第05回) テキスト版 ■