佐藤知恵子さんの文芸誌時評『No.015 オール讀物 2015年02月号』をアップしましたぁ。佐藤さんのハイテンション文芸誌時評です。佐藤さん、部下の女の子から又吉直樹さんの『火花』をプレゼントしてもらったようです。『アテクシの部下で、かわいくいることで力尽きちゃってる女の子が「お局さまぁ(とは申しませんでしたけど)、これ、読んじゃったんであげますぅ」と言ってプレゼントしてくれたのね。まあああああっ、ますますかわいい子だわっ!。(中略)で、アテクシの大好きなかわい子ちゃんに「どういうお話しだったの?」って聞いたら、「なんか先輩と後輩の漫才師がお笑い論してる小説でしたぁ」といふお返事でした。よくできました。さすが四大卒、花◎よっ』と書いておられます。オバサンパワー全開だなぁ(爆)。
今回佐藤さんが取り上げておられるのは、千早茜さんの『カラメル』と東川篤哉さんの『魔法使いと偽りのドライブ』です。『魔法使いと偽りのドライブ』はラノベですが、佐藤さんは『こういったお作品は、中途半端な純文学的大衆小説よりも読者を獲得できる可能性が高いですわね。その理由は読みやすくわかりやすいからだけではないと思いますの。登場人物たちの造形があまりにも単純でステレオタイプだから、読者が知らず知らずのうちにその内面を補ってしまうのよ。つまりキャラが際立つわけ。(中略)このタイプのお作品は大人の作家にしか書けないってことでもあるわね。多分それは、うんと苦労して、何かをすっぱり諦め切り捨ててきた大人の書き方よ。内面描写に少しでも未練がある作家様には無理ね。これはこれで、もう後戻りできない残酷な書き方でございますわ』と批評しておられます。
書き方はかる~いノリですが、佐藤さんの批評、的確で厳しいです。さすが年季の入った小説読みです。口語短歌もそうですが、ラノベも読みやすいので、これなら書けると思われがちです。しかしそんなことはないです。ある書き方を選択することは、何かを切り捨てる、あきらめるということを意味します。またある書き方を選択する際に、なぜそうなのかという作家の確固たる思想が必要です。単に雰囲気を真似した作家の作品は、必ずと言っていいほど崩れと破綻を露呈してしまうものです。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評 『No.015 オール讀物 2015年02月号』 ■