鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第45回 ロベール・クートラスのクリスマス・オーナメント(後編)』をアップしましたぁ。鶴山さんはクートラスを「魔術師」と呼んでおられました(クートラス論参照)。手に触れた物を美術品に変えてしまうような作家だったんですね。ただクートラスは「お金がなくて欲しい美術品などが買えないから自分で作るんだ」と岸真理子・モリアさんに語っていたようです(『クートラスの思い出』岸真理子・モリア著)。
クートラスは若い頃に石工の仕事をしていて、その経験もあってヨーロッパの古い物が好きになったようです。ただクートラスの精神は古いキリスト教の遺物に限らず、もっともっと古い時代を見つめていたようです。クートラスは熱心に本を読むインテリ系の画家ではありませんでしたが、ジェラール・ド・ネルヴァルが好きだったようです。
鶴山さんは『クートラスが見ていた至高のイマージュは、ネルヴァルと同様、ヨーロッパの歴史を遡り古代へと至るような質のものだったろう。クートラスは油絵やグァッシュではキリスト教の聖人を想起させる人物像を好んで描いた。それがわたしたちの心を捉えるのは、そこにキリスト教以前と呼んで良いような聖性が表現されているからである。またそれは、まだ現実界で存在の形を取らない、聖と俗が入り交じる想像界から生み出されている。それが最も端的に表現されているのは、クートラスの夜の手仕事であるカルトだろう。カルトは聖なる道化師たちが跋扈する世界でもある』と批評しておられます。
また今回、鶴山さんは『親方の獲り分――ロベール・クートラス賛』という新作詩をエッセイの最後に載せておられます。詩人の思考がどんな形で一篇の詩に昇華されてゆくのかがよくわかるエッセイになっています。じっくりお楽しみください。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第45回 ロベール・クートラスのクリスマス・オーナメント(後編)』 ■