高島秋穂さんの詩誌時評『No.012 角川短歌 2015年02月号(後編)』をアップしましたぁ。前編に引き続き、『私性論議』特集について書いておられます。石井僚一さんが父親の死をテーマにした連作三十首で第五十七回短歌研究新人賞(短歌研究社主催)を受賞されたのですが、受賞後に石井さんのお父様がご健在であることがわかり、短歌界で私性論争が起こりました。高島さんの論点は3つほどあります。
① 作品を書く際に父親の死をテーマにした作品が選考委員の注意を惹くかどうか考えていたのかはやはり問われるところです。石井さんのスタンスによっては『父親のような雨に打たれて』は選考委員のベテラン歌人たちをからかった冗談としても受け取ることができるからです。
② 今後考えられる現実的道筋として歌集刊行を視野に入れるとしても父親殺しの根を明らかにするか短歌的フィクションに対する実践的思考を深めるほかにデビュー作を無駄にせず短歌を書き連ねてゆく道はほとんどないと思います。
③ 『父親のような雨に打たれて』連作は短歌文学の現在を映し出す面白い試みだと思います。短歌文学の足下をすくうかのようなあからさまなフィクションを持ち込むのはどこかで口語短歌の試みと通底しています。既成の短歌概念を打ち壊そうとする若い作家たちの強い意欲があるということです。
石川は、高島さんの批評はしごくまっとうだと思います。まず前提として『父親のような雨に打たれて』の危うい倫理性を問うことは避けて通れません。短歌文学に対しても父親に対しても、倫理的に指弾される可能性を排除できないということです。ただそのような試みには作家の側に必ず理由があるはずです。それを明らかにしなければなりません。またこういった、危ういけどだからこそ刺激的な試みをみんなで考えることは、確かに短歌界を活性化させると思います。
■ 高島秋穂 詩誌時評 『No.012 角川短歌 2015年02月号(後編)』 ■