鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第42回 年紀の入ったアイヌ盆(前編)』をアップしましたぁ。鶴山さんは前に北方少数民族のウイルタ族の首飾りについて書いておられましたが、今回はアイヌのお盆です。鶴山さんの骨董エセーは名品、優品を見せるそれとは全然違うなぁ。値段は100円とかでも、面白そうな骨董についてなら書けちゃいそうです。多分、そのうちそういう回もあると思います(笑)。
石川、文学金魚をスタートする時に、連載などをお願いする著者の方が過去にお書きになった文章をちょこっと読んでリサーチしました。鶴山さんが「現代詩手帖」などにお書きになった文章も読んだんですが、はっきし言って何が書いてあるのか皆目わかりまへんでした(爆)。こりはだいじょぶなのかなぁと思っていたら、別の雑誌などに書いた文章が届いてそれを読むと、すっきりわかりやすひ文章に変わっていました。「ずいぶん文章の書き方が変わりましたね」というお話しをしたら、「意識的に変えたんです。わかりやすい文章を書こうと思って書き始めたのが、骨董エセーでした」といふお返事でした。
前に書いたことがありますが、一番難しいのはわかりやすい文章を書くことです。文芸誌などで「30枚あれば総合的作家論は書けるでしょう」といふのは本当のことです。エッセンスだけなら30枚もあれば十分。詩についてとかある作家についてとか、何度も何度も100枚でも200枚でも書ける作家ははっきり言えば何も決定的な思想を持っていないから書けるのです。腑に落ちるところまで、つまり限界までわかりやすく書けるところまで思考を追い詰めれば、石川が言っていることが本当だといふことが必ずわかります。
んで鶴山さんに「現代詩手帖」時代の文章がなんであんなに分かり難いんですかとお聞きしたら、「バカが俺はバカじゃないって大声で主張してる時期の文章だからだよ」と言って、大笑いしておられましたぁ(爆)。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第42回 年紀の入ったアイヌ盆(前編)』 ■