第2回 辻原登奨励小説賞受賞作 寅間心閑(とらま しんかん)『再開発騒ぎ』 講評と受賞の言葉をアップしましたぁ。選考委員の辻原登さんは、『作品としてはぎりぎりである。資質と年齢、認識の深まりと作品化のせめぎ合いが判断を迷わせるところだ。まずはこの手つきが手馴れとならず、より深い成熟に向かう可能性を信じての及第点という他はない』と厳しい『講評』を書いておられます。ただ石川は選考に同席しましたので、これは辻原さんの寅間さんへの期待だということがよくわかります。若い作家に対してならこんな厳しい『講評』は書かないといふことです。
寅間さんは40歳です。どんなジャンルでもそうですが、若さは無条件に一つの特権です。ただ文学の世界では若いだけではちやほやはしてくれない。特に小説は、現世の解決し難い矛盾や苦悩を表現する芸術です。人生経験の浅い20代、30代の若者の思いつくネタやテーマは自ずから限られます。また、たまさかの僥倖でスター扱いされてデビューしても、後が続かない。世の中のことを何も知らないで小説家になってしまうのは、ラッキーなようで不幸なのかもしれないのです。
ただ辻原さんや石川のようなオジサン編集者は、若者の恐いもの知らずの生意気さを『可愛いねぇ』と思う年になっていますから、できるだけ長所を誉める。なぜかと言うと、たいていの場合、アドバイスしても聞く耳持たないからです(爆)。身も蓋もない言い方をすれば、若者は必ず挫折する。しかも何度も鼻っ柱を叩き折られる。そこで淘汰された作家だけが生き残るのです。自ずと『君の好きなように長所を伸ばしてごらん。それで挫折したらまたお話ししましょうか』というスタンスになるんです。それを経験しないと〝現実〟が身に沁みない。実業を中心にした社会と同じくらい小説文学の世界も厳しいのです。
40代以降の作家は若者のような特権的若さを持っていません。スター性を構成する要素の一つを最初から欠いているわけです。しかし必ずしも文学の世界においてではないにせよ、年齢を重ねた分、社会の矛盾気づき、それなりの挫折を繰り返しているはずです。辻原さんの『社会的フェーズに対する距離感、所詮はヒトのすることという見切り方、怖れのなさは今の世の中では評価されてよい』という『講評』は、寅間さんの人間としての成熟に期待した言葉です。
けっきょく若くても年齢を重ねていてもメリット・デメリットはあります。若さは注目されやすいですが、作品は荒削りになりがちです。中年・壮年にはぴちぴちした新鮮さはありませんが、人生経験による奥深さを期待できる。つまりいつまでも十代、二十代のつもりで四十、五十歳になってはいけないわけです。もう若くはないという自己認識を持って、作品で年齢なりの凄みを表現しなければならない。文学金魚が寅間さんに期待しているものそういった本質的な文学の凄みです。結局のところ、何歳であろうと文学者は自分で自分の〝ウリ〟を作り、基本的には自助努力で道を切り開いていかなければならない。寅間さんの受賞作『再開発騒ぎ』の第1回目は明日アップしますですぅ。
■ 第2回 辻原登奨励小説賞受賞作 寅間心閑『再開発騒ぎ』 講評と受賞の言葉 ■