山本俊則さんの美術展時評『No.041 特別展 鳥獣戯画 京都 高山寺の至宝!』をアップしましたぁ。平成21年から4年がかりで解体修理された「鳥獣戯画」と、それを所蔵している京都・高山寺の寺宝の展覧会を取り上げておられます。
山本さんは『京博開催の時から長蛇の列というニュースが流れていたが、果たして東博も大変な混雑ぶりだった。展覧会場には並ばずに入れたのだが、会場の中で『鳥獣戯画甲巻』を見るのは約二時間待ちだった。人のことは言えないが、世の中に『鳥獣戯画』を見たい人がこんなにいるとはちょっと驚きだ。美術館に行くのもレジャーの一種だろうが、二時間も他人の後ろ頭を眺めているのはお盆休みの高速渋滞なみのストレスである』と書いておられます。お疲れ様でした。文字通り労力のかかったコンテンツであります(爆)。
ただま、鳥獣戯画と高山寺に、もんのすごく強い結びつきがあるわけではなひ。山本さんが『簡単に言うと鎌倉時代初期の高僧・明恵(みょうえ)上人が再興した京都高山寺に伝わる上人ゆかりの品々と、『鳥獣戯画』絵巻全四巻から構成される展覧会である。高山寺所蔵という以外、明恵聖人と『鳥獣戯画』には直接的な関係はない。上人が作らせたとか譲り受けた絵巻ではないということである。恐らく明恵上人寂滅後に高山寺に『鳥獣戯画』が納められ、寺宝の一つとして現在まで伝わったのである。いつ頃から高山寺に『鳥獣戯画』があったのか、元の所有者(作者)は誰かは今のところわかっていない』と書いておられる通りです。
ですから鳥獣戯画は誰が描いたのか、誰が高山寺に納めたのかについては、昔から議論があります。山本さんは『作者は鳥羽僧正(とばそうじょう)ではないかと長く言われてきた。しかし最近の研究ではそれは否定されている。また鳥羽僧正は確かに戯画の名手だったが、宗教者である。・・・僧正が『鳥獣戯画』を描いたのなら、仏教を揶揄したとしてもそこに必ず宗教的な教えをこめたはずである。作者名を隠す必要はないのである。ちょっと気になるのは後白河法皇周辺である。院は篤く仏教に帰依していたが、高位の人には珍しく和歌嫌いで今様を好んだ。・・・『梁塵秘抄』の〝秘〟もまた、奥義なので秘すべしという意味と、広く公刊するのは慎むべしという二つの意味に取れる。・・・今様を愛した院の周辺になら、『鳥獣戯画』を愛好する文化サークルがあったかもしれない』と批評しておられます。
■ 山本俊則 美術展時評『No.041 特別展 鳥獣戯画 京都 高山寺の至宝!』 ■