田山了一さんのTVドラマ批評『No.082 限界集落株式会社』をアップしましたぁ。NHKさんで土曜日夜9時から放送されていた農業ドラマです。田山さんは「経済ドラマを期待してしまった」と書いておられますが、不肖・石川も同じだったなぁ。田山さんはまた、「ドラマ、というものに対する通常の文法が支配しているように思う。主人公の女の子の祖父の畑への想い、出て行って戻ってきた父親の想い、農家の人々の想いと、それらは「想い」としか言いようのない、言ってしまえば設えられた関係性から生じるありきたりの「反応」である。それが視聴者の多くに対して本当に説得力を持った時代は、過ぎ去ったのではあるまいか」とも書いておられます。恐縮ですが、このドラマの弱点ズバリだと思いますぅ。
テレビドラマは老若男女を訪わず、不特定多数の視聴者を物語の中に引き込まなければならないコンテンツだと思います。そのために皆さん知恵を絞っておられるわけですが、従来のパターンを破らなければ新しいドラマにはならない、でもあんまり破りすぎると見てもらえないといふジレンマがある。水戸黄門の印籠のやうに、どこかで家族愛や友情などで落とし所を作った方が安全パイになりやすひ面があるのも事実です。でもそのスキームが早々と透けて見えると、視聴者は白けてしまふでせうねぇ。
時代が変わったといふのは何も雰囲気(アトモスフィア)だけではありません。どうしても譲れないルール(時には法)が新たな社会システムになる場合もあります。農業が変わりつつあるなら、新たで残酷なシステムと古い良き農村幻想を、鋭く対立させながら共存させなければならなひでせうね。田山さんが「農薬を使ってしまった仲間を許す、というエピソードは実在の有機農業組織で見たことがある。しかしそれを自ら告白するのと、黙っていて検査で発覚し、組織の有機認定が取り消されることとは雲泥の差がある。適当な「想い」で情緒に訴えることは、真剣さを疑われることにもなり得る気がするのだが」と批評しておられる通りだと思いますぅ。
■ 田山了一 TVドラマ批評 『No.082 限界集落株式会社』 ■