小原眞紀子さんの『文学とセクシュアリティ 現代に読む源氏物語』(第036回)をアップしましたぁ。今回は『源氏物語』第四十八帖『早蕨(さわらび)』の読解です。『宇治十帖』第四帖に当たります。プラトニックな関係のまま大姫を失った薫は悲しみに沈み、一方、匂宮は宇治から都に中姫を迎えます。身軽に動けない匂宮の代わりに薫は細々と中姫の引っ越しの世話などを焼くのですが、それが感謝と同時に嫉妬の心を匂宮の内にかき立てます。その三角関係を小原さんは読解しておられます。
小原さんは「この葛藤の三角形こそがすなわち現世の執心、浮き世の悩みを発生させる根源的な「形」=パターンである、と言えるでしょう。小説における登場人物の関係性の基本が三角関係にある、というテクニックもまた、ここからもたらされる」と書いておられます。今回は小説文学の原理に迫る論になっているわけです。小説文学においては三角関係が基本になりますが、それが四角関係、つまり二組の男女になると、どう小説構造として処理すればよいのか。小原さんは夏目漱石の『明暗』を例に説明しておられます。
「薫はもとより恋愛に身を焦がすような存在ではない・・・仏道を求めて八の宮邸に出入りするようになり、そこで出会ったのが同じく仏道に邁進することを願っている大姫でした。この段階ですでに、薫のアイドルは仏様から大姫へと、形而下的に下がっている。・・・そして大姫を失い、薫の志向はさらに現世的な中姫という存在に下がったのですね。・・・そこには存在の必然とでもいった説得力があります。悟りすました認識の中に生きていても、所詮は男、というより現世の存在である、という必然的な縛りがある。存在の哀しみ、と言えば美しい。そして小説というものは畢竟、この存在の哀しみを描くものだ、と定義できます。俗に言うところの源氏物語のテーマが「あはれ」であるとは、それ自体は何の説明にもなっていないけれど、小説とは何かという定義そのものを示唆するテーマを抱えている、と解釈できる」と小原さんは書いておられます。見事な読解です。じっくりお楽しみください。
■ 小原眞紀子 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語』(第036回) ■