鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第032回 【祝!北陸新幹線開通】南桂子賛(前編)』をアップしましたぁ。鶴山さんは富山県ご出身で、今年の3月14日に北陸新幹線が開通したのを記念して、富山出身のエッチング画家、南桂子さんについて書いておられます。南さんの作品は、どこかで見たことのある方も多いと思います。ユニセフのポストカードなどにも採用されています。
最近、どの地方も村おこし、町おこしに必死であります。日本の豊かさが安定して、細かな差異がよく見えるやうになったためでもあるでしょうね。不肖・石川は高度経済成長を知る昭和の子供ですが、石川の青年時代には日本の村や町は、どこも同じやうに見えたものです。日本全国が東京化して見えたんですね。それが最近になって、均一化よりも差異の方が目につくようになった。郷土が誇る芸術家は村おこし町おこしの起爆剤になるでせうね。海外でもジュベルニーはモネで、オランダはゴッホで町おこしなどをしておりまふ(爆)。
ただ南さんや瀧口修造が富山県出身だといふことは、石川はあまり強く意識していなかったなぁ。鶴山さんが書いておられるやうに、「一人の作家の仕事を、その出身地の風土からすべて読み解くことはできない」わけです。でも「芸術家は家族はもちろん、子供時代を過ごした土地からも強い影響を受ける」のも確かです。芸術家と郷里を結びつけるにも、優れた作家の視線が必要だといふことでせうね。鶴山さんは「南が〝一〟と〝二〟の存在を好んで描いたのは確かである。画家の思想はそのような形で表現されるのである」と批評しておられます。南桂子さんの孤独を作品から読み解いておられます。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第032回 【祝!北陸新幹線開通】南桂子賛(前編)』 ■