谷輪洋一さんの文芸誌時評『No.012 文藝2015年春季号』をアップしましたぁ。「文藝」の版元である河出書房新社さんから刊行されている『日本文学全集』の特集を取り上げておられます。文学金魚の批評陣のどなたかが、いずれ言及されるとは思っていましたが、む~困った。谷輪さんは「編者は池澤夏樹で、その特徴のある選び方が注目されている。その是非よりも、その光景がいわゆる「日本文学全集」のあり様を・・・相対化されたものに見せているように思える。池澤夏樹という作家に、日本文学のすべてを相対化するような視点がある、とイメージできないことが、逆に「日本文学全集」という「あり方」を相対化して見せる、と言ったらいいだろうか」と書いておられます。不肖・石川も同感でごぢゃる(爆)。
ただ谷輪さんの河出書房新社版『日本文学全集』への感想は複雑です。「では池澤夏樹でなくて誰ならいいと言うのか・・・私たちがそれを手にとるとき、腑に落ちない感覚に陥るのは、だから今という時代の必然なのだ。この全集・・・への批判は常に、代替としてどんな物が、どんな選者が考えられるのか、という問いによって切り返される。そして少なくとも「日本文学全集」というスタティックなイメージ、すなわち文学的な権威を無邪気に信じられた時代よりは、過渡期とはいえ進化していると言えないこともないのだ」と批評しておられます。
池澤夏樹さん個人編集の『日本文学全集』は、多くの同時代作家たちの協力を得ているとはいえ、不肖・石川にはかなり偏ったものに見えます。池澤さんの本棚の中身を見せられたような感じかな。でもそのような形でしか『日本文学全集』を編めないのが現代の文学状況だと思います。ただこの全集では昭和50年代くらいなら入選していた戦後作家たちが軒並み落ちている。それは当然で、戦後文学は激しい再評価の波にさらされています。またこの過渡期的な大波と現代作家は無縁ではありません。あと数十年後に、優れた作家だとはいえ、須賀敦子や石牟礼道子、大江健三郎さんらが一冊本で「日本文学全集」のラインナップに残るとは思えない。あくまで池澤さんによる池澤さんのための全集という気配が濃いシリーズのやうな気がします。
■ 谷輪洋一 文芸誌時評『No.012 文藝2015年春季号』 ■