小原眞紀子さんの『文学とセクシュアリティ 現代に読む源氏物語』(第034回)をアップしましたぁ。先月小原さんは風邪引きで休載でございました。みなさんいろいろあるわよねぇ。ほとんどの創作者がそうですが、ギリギリのところで仕事してるのでありまふ。もち複数の仕事を平行して進めていることが多いわけですが、各仕事でたくさんストックを抱えている作家は少ない。ストックがあったとしても、まっとうな作家は今現在取りかかっている仕事と未来の仕事にしか興味がなひものです。小原さんはかなりストックのある作家さんですが、評論では『文学とセクシュアリティ』が最先端の作品でありまふ。
で、今回は『源氏物語』第四十六帖『椎本(しいがもと)』の読解です。『宇治十帖』第二帖ですね。この帖について小原さんは「まず匂宮が宇治へと惹かれ、やってきます。これはもちろん、薫の言葉に引っ張られているのです。もとより匂宮の名は、天性の香りをまとっている薫を真似て、香に凝っているところからきています。匂宮の宇治への突然の執着は、それが薫にとって特別な場所だからであるに相違ありません。つまりは匂宮の宇治の恋愛譚とは、見知らぬ姫に対するものである以前に、薫に接近することに血道を上げた結果なわけです」と書いておられます。
しかし薫と匂宮の関係はホモセクシュアルとは質が違います。それを小原さんは中原中也と小林秀雄と長谷川泰子との三角関係から読み解いておられます。中也から泰子を奪った小林の行為について、小原さんは「あたかも未開の食人種が敵を食べることでその力を得ようとしたように、中也の女を奪うことで彼の才能を吸収・理解しようとした、ということではないでしょうか。それは相手を自分自身と同一化し、あるいは相手を真似ることで自身を相手の鏡像とする行為です」と論じておられます。この構造が薫と匂宮との関係にも見られるわけです。
小原さんは「薫は結局、何を目論んでいるのか。・・・この問題を一言に整理すると、薫はなぜ自らの鏡像を必要とするのか、ということに尽きます。新しい服を着た自分の姿を鏡で確かめるように、薫は自分のあり方、自分の欲望の姿を匂宮という鏡に映し、「それがそこにあること」を確認しているようにみえます。現前することがわかれば、その欲望が増幅することもあるでしょう。目の前に見えなければ、それは立ち消えてしまうかもしれない」と論じておられます。
ここから『椎本』の読解では一般的な、「自らの秘密を守るため、姉妹を身内に囲い込もうとした結果、姫への執着が生まれた」という解釈とは異なる、小原さん独自の〝読み〟が生まれて来るわけです。コンテンツをじっくり読んでお楽しみください。
■ 小原眞紀子 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語』(第034回) ■