岡野隆さんの詩誌時評『No.016 月刊俳句界 2014年06月号』をアップしましたぁ。特集は「俳句史 師弟対決名勝負~新しい俳句は師弟の対決から生まれた!」ですが、その中から大井恒行さんの「水原秋櫻子vs高屋窓秋」を取り上げておられます。秋櫻子は高浜虚子の「ホトトギス」に反旗を翻した初めての俳人で「馬酔木」の主宰です。現代俳句につながる新興俳句は秋櫻子の「馬酔木」から始まったと言われます。窓秋は現代俳人として有名ですが、秋櫻子のお弟子さんです。岡野さんは大井さん選の秋櫻子と窓秋の句を再掲されていますが、やっぱいいんだなぁ。ちょいと再再掲しておきます。
梨咲くと葛飾の野はとの曇り
葛飾や桃の籬も水田べり
高嶺星蚕飼の村はしづまり
秋櫻子
頭の中で白い夏野となつてゐる
ちるさくら海あをければ海へちる
山鳩よみればまはりに雪がふる
窓秋
こういう作品を読むと、やっぱ俳句はいいなぁと素直に思ってしまひます。前回岡野さんは、俳壇的風土につひて厳しいことを書いておられましたが、俳句ってなんだか蓮みたひだなぁと思ってしまひました。蓮って泥池の中で育って美しい花を咲かせるでせう、なんてことを書くと俳人さんたちにまた怒られてしまひそうですが(爆)。でも優れた作品だけ読んでいると、俳句ってホントに素晴らしいと思ひます。読者でも俳人でも、こういった初心といふか原点的な素晴らしさを、いつの場合では忘れてはならんと思ふのでありまふ。
岡野さんは、「窓秋は・・・情熱があると言えばある、希薄だったと言えば希薄と言える姿勢で断続的に俳句を書き続けた。しかし・・・この寡作な作家は間違いなく俳句芸術の本質を捉えていた。窓秋の清浄な空無の世界と、豊饒で多様な俳句の表現世界は表裏一体だということである。現代俳句のゼロ地点は、秋櫻子から窓秋へと受け継がれた作品の中に読み解くことができるだろう」と批評しておられます。優れた批評だと思います。抜き差しならぬ現世的状況を批判することも大事ですが、その基盤にはやはり文学そのものを評価する視線がなければならないと思ふのでありますぅ。
■ 岡野隆 詩誌時評 『No.016 月刊俳句界 2014年06月号』 ■